東京高等裁判所 平成5年(ネ)1858号 判決
控訴人
甲野一郎
同
甲野春子
右両名訴訟代理人弁護士
時友公孝
被控訴人
乙川太郎
同
乙川夏子
同
丙沢四夫
同
丁海五夫
右被控訴人ら訴訟代理人弁護士
三井明
同
環直彌
同
野崎研二
同
安原幸彦
同
石井小夜子
同
下林秀人
同
蒲田孝代
同
神山啓史
同
石川邦子
同
岡崎敬
同
高畑拓
同
中村誠
同
安田耕治
同
斉藤博人
同
清水洋
右訴訟復代理人弁護士
金龍介
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らは、各自、控訴人甲野一郎に対し、二三六三万四七〇三円及びうち二一六三万四七〇三円に対する昭和六〇年七月二〇日から、うち二〇〇万円に対する平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人らは、各自、控訴人甲野春子に対し、二二六三万四七〇三円及びうち二〇六三万四七〇三円に対する昭和六〇年七月二〇日から、うち二〇〇万円に対する平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 控訴人らの被控訴人らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は、第一、二審を通じて六分し、その一を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
六 この判決は第二、第三項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、各自、控訴人甲野一郎に対し、二八二一万六六二四円及びうち二五七一万六六二四円に対する昭和六〇年七月二〇日から、うち二五〇万円に対する平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人らは、各自、控訴人甲野春子に対し、二七二一万六六二四円及びうち二四七一万六六二四円に対する昭和六〇年七月二〇日から、うち二五〇万円に対する平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
5 仮執行宣言
二 被控訴人ら
本件控訴をいずれも棄却する。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1(一) 亡甲野花子(昭和四五年五月二九日生。以下「花子」という。)は、控訴人らの長女であり、後記2の本件事件が発生した昭和六〇年七月一九日当時、満一五歳であった。
(二) 訴外乙川二郎(昭和四四年九月一八日生。以下「乙川」という。)は、被控訴人乙川太郎及び乙川夏子の二男であり、本件事件当時、満一五歳であった。
(三) 訴外丙沢春男(昭和四六年六月一日生。以下「丙沢」という。)は、被控訴人丙沢四夫の長男であり、本件事件当時、満一四歳であった。
(四) 訴外丁海夏男(昭和四六年三月二七日生。以下「夏男」という。)は、被控訴人丁海五夫の長男であり、本件事件当時、満一四歳であり、訴外丁海秋男(昭和四七年三月二二日生。以下「秋男」という。)は、同被控訴人の二男であり、本件事件当時、満一三歳であった。
2(一) 乙川、丙沢、夏男及び秋男(以下「乙川ら」という。)は、昭和六〇年七月一八日(以下、昭和六〇年の出来事については月日のみを記載する。)夜間、窃取した自動車二台に訴外A(以下「A」という。)及び訴外B(以下「B」といい、乙川らとA及びBを合わせて「少年ら」という。)と分乗し、埼玉県八潮市内を乗り回していたところ、たまたま同市内を一人で歩いていた花子を発見して無理やり同女を自動車に乗せ、翌一九日午前二時三〇分頃、同市大字新町三〇番地八潮市立北公園(以下「北公園」という。)に至り、同所において、花子を強姦することを共謀し、乙川らが花子の顔面を殴打し、その大腿部等を足蹴りするなどして花子の反抗を抑圧し、同女を全裸にした上、北公園内奥の池付近や草むら付近において、乙川、夏男及び秋男が強いて同女を姦淫した。
(二) 乙川らは、右非行後、北公園内において、花子を殺害することを共謀し、同女を自動車に乗せ、同日午前三時頃、埼玉県草加市柿木町一一一〇番地先路上に連行し、同所において、花子が着用していたブラスリップを剥ぎ取り、これで同女の頸部を締めつけ、更に、同女を同所から東北方向に約二五〇メートル離れた同市同町字宝一三五一番地一所在の有限会社豊田建興の残土置場(以下「残土置場」という。)に運んで投棄し、よって、同所において頸部圧迫及び吐物吸引により窒息させて殺害した。
(以下(一)、(二)を合わせて「本件事件」という。)
3 乙川、丙沢及び夏男は、昭和六〇年九月六日、浦和家庭裁判所において、花子に対する強姦、殺人、強制猥褻の非行事実等により少年院送致の決定を受け、東京高等裁判所に抗告をしたが、昭和六一年六月一六日、抗告棄却の決定を受け、更に最高裁判所に再抗告したが、平成元年七月二〇日、再抗告棄却の決定を受けた。
4 被控訴人らの責任原因
(一) 被控訴人乙川太郎、同乙川夏子は、乙川の父母、被控訴人丙沢四郎は丙沢の父、被控訴人丁海五夫は夏男及び秋男の父として、本件事件当時、乙川らの親権者であった者である。
(二) 乙川は、本件事件当時までに、深夜徘徊で一回、窃盗で九回、虞犯行為で一回、喫煙行為で一回の補導歴を有し、少年院送致の処分を受けている。丙沢は、小学校の頃から、乙川、秋男らと共に、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸引等を連続して行い、一〇回以上にわたって草加署に補導されている。
夏男は、小学校の頃から悪い仲間に入り、中学校に入ってからはシンナー吸引、自動車の窃盗、電話機荒し、自動販売機荒し等の非行を繰り返し、数多くの補導歴がある。また、秋男も、乙川、丙沢らと共に、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸引等を行っていたものである。
(三) 被控訴人らは、本件事件当時、乙川らが一三歳ないし一五歳であって親による監督が可能な年代であったのであるから、親権者として乙川らの日常の行動に十分な注意を払い、乙川らが夜遊び、家出等を行う都度生活指導をして乙川らの行動がエスカレートしないように規制するなどし、本件事件の発生を未然に防止すべき注意義務が存したにもかかわらず、右注意義務を怠り、乙川らが大分以前から右(二)記載のような常軌を逸した反社会的行動を取っているのにこれを放置し、乙川らをして本件事件を引き起こすに至らしめたものであり、被控訴人らには、民法七〇九条により被害者ないし控訴人らが被控訴人らの不法行為により被った損害を賠償する責任が存する。
5 損害
(一) 花子の逸失利益
二四四三万三二四八円
(1) 花子は、死亡当時満一五歳の健康な女子であり、本件事件により死亡しなければ、少なくとも一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であった。また、花子死亡当時の女子の全年齢平均給与額は月額一七万六五〇〇円であり、花子の生活費控除割合は三〇パーセントとするのが相当である。
右により花子の逸失利益をライプニッツ方式(ライプニッツ係数16.48)により計算すると、花子の逸失利益は二四四三万三二四八円となる。
(2) 控訴人らは、花子の右損害賠償請求権を各二分の一(一二二一万六六二四円)ずつ相続した。
(二) 葬儀費用(控訴人甲野一郎)
一〇〇万円
控訴人らは、花子の葬儀を行い、その費用を控訴人甲野一郎において負担した。花子の葬儀費用としては、一〇〇万円が相当である。
(三) 控訴人らの慰謝料
各自一二五〇万円
控訴人らは、五人兄弟の長女として弟妹の面倒を見て経済的に苦しい控訴人らの手助けをしていた花子が、乙川らに強姦された上殺害され、悲惨な最後を遂げたことにより、失望と悲嘆のどん底に突き落とされたものであり、右精神的損害を慰謝するには控訴人ら各自に対し一二五〇万円をもってするのが相当である。
(四) 弁護士費用
各自二五〇万円
本件事件の弁護士費用としては各自二五〇万円が相当である。
6 よって、控訴人甲野一郎は、被控訴人らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自、右損害金二八二一万六六二四円及び右損害金のうち弁護士費用を除く二五七一万六六二四円に対する不法行為の後の日である昭和六〇年七月二〇日から、弁護士費用二五〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、控訴人甲野春子は、被控訴人らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自、右損害金二七二一万六六二四円及び右損害金のうち弁護士費用を除く二四七一万六六二四円に対する不法行為の後の日である昭和六〇年七月二〇日から、弁護士費用二五〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1記載の事実は認める。
2 同2記載の事実のうち、乙川らが、七月一八日夜間、窃取した自動車二台に他の仲間二名と分乗し、埼玉県八潮市内を乗り回していたことは認め、その余の事実は否認する。
3 同3記載の事実は認める。
4 同4記載の事実のうち、(一)は認め、その余の事実は否認する。
5 同5記載の事実のうち、花子が死亡当時満一五歳の女子であったことは認め、その余の事実は争う。
三 被控訴人らの主張
1 本件事件は、乙川らの犯行によるものではなく、乙川らは、本件事件とは無関係であって、本件事件が乙川らの犯行であるとする浦和家庭裁判所の少年審判及び東京高等裁判所の抗告審の決定はいずれも誤りであり、冤罪である。
本件事件は、決して物証の乏しい事件ではなく、花子の死体、衣服及びその付着物並びに乙川らが乗り回していた自動車等の豊富な証拠物が存在している事件であるにもかかわらず、花子の殺害、姦淫の事実等と乙川らとを直接結び付ける証拠は、少年らの捜査官に対する自白を除いて皆無であり、かえって、後記2のとおり乙川ら以外の第三者による犯行であることを強く推認させる客観的事実が多数存在している。
また、後記3のとおり、花子の殺害、姦淫の事実等と乙川らとを直接結び付ける唯一の証拠である少年らの自白は、いずれも「秘密の暴露」に相当するものが全くなく、重要な部分において客観的事実と矛盾しているのみならず、殺害及び強姦の各態様、殺害現場並びに死体運搬方法など主要事項についてだけでも数多くの点で軌を同じくして一斉、かつ、大幅に変遷するという冤罪事件の典型的特徴を備えており、少年らの自白は、捜査官の誘導並びに脅迫及び暴行等の強要と当時年少であった少年らの迎合によって生まれた虚偽、架空のものであり、全く信用することができないものである。
2 本件事件については、これが乙川ら以外の第三者による犯行であることを合理的に推認させる客観的事実が存在する。
本件事件当時、窃取した自動車を乗り回していた乙川らを含む六名の少年らの血液型はO型とB型であってAB型の者はいなかったところ、
(一) 花子が着用していたギャザースカート(以下「スカート」という。)の後面裏側の六か所に血液型がAB型の精液が付着しており、精子の存在も確認されている。
(二) 花子の両乳房には血液型がAB型と判定された唾液が付着していた。
(三) 花子が着用していたノースリーブシャツ(以下「シャツ」という。)後面には血液型がAB型の毛髪が付着していた。
右事実を考慮すると、本件事件は、乙川ら以外の血液型がAB型の第三者の関与による犯行であると考えるのが自然である。
なお、花子が着用していたスカートに付着していたAB型の精液が本件事件以外の機会に付着したとの科学的な論証はなく、右(二)、(三)の事実を考慮すれば、これが本件事件の機会に付着したというべきである。また、乙第一〇号証、第一二、第一三号証の各報告書には、花子の両乳房に付着していた唾液の血液型は、これを採取した際に血液型がA型である花子の体垢ないし細胞片が一緒に採取されて唾液と混在したことによりAB型を呈した可能性があり、被疑者の血液型がB型であることと矛盾しない旨の記載があり、これに沿う内容の体垢から血液型が検出される旨の実験報告書(乙第一一号証)が存在するが、右各報告書は、唾液の血液型と乙川らの血液型とが異なる旨指摘を受けた捜査官が窮余の一策として作成したものであって、単なる可能性をいうにすぎず、また、右実験報告書の体垢実験なるものは、単に体垢そのものから血液型が検出されるかどうかを実験したものであり、これを唾液と混合した場合どの程度の混合でいかなる反応を示すかを実験したものではないばかりか、花子の細胞片と被疑者の唾液の混在についての具体的な検査はされていないから、右各報告書及び実験報告書は、いずれも何ら科学的根拠たりうるものではない。そもそも、体垢中には血液型物質はあまり含まれておらず、唾液に体垢が混合していても血液型の判定には影響がないものであり、前記唾液の血液型を鑑定した田島敏彰(前記実験報告書の作成者)は、右唾液を採取した脱脂綿が汚れていることをも考慮に入れつつその血液型をAB型であると鑑定しているのである。また、右唾液の血液型は、B型物質が多くA型物質が少ないが、その差が僅かである上、右の差はスカートに付着していた血液型がAB型の精液にも見られるものであって、血液型がAB型であってもA型物質とB型物質との量に差があることを考慮すると、右唾液中にB型物質が多くA型物質が少なかったことは、これがB型物質が多くA型物質が少ないAB型の血液型の者に由来するためであると見るのが合理的であり、A型物質が花子の体垢に由来するからではない。
3 少年らの自白の任意性及び信用性には強い疑いが存する。
少年らと本件事件の犯人とを結びつける唯一の証拠は少年らの供述だけであるところ、少年らは、本件事件当時一三歳ないし一五歳であり、自分を守るだけの適切な知恵や技術を持ちようもなく論理的に反駁するだけの表現能力や精神力もなかったものであるから、警察に勾留され、親から離されて警察官に囲まれた中でされた自白については慎重な評価が必要であり、自白調書の供述文言のみを捉え、その表現の迫真性とか合理性を求めてもそれで自白の真実性を正しく判断することはできないものであり、少年らと本件事件とを結びつける客観的証拠のない本件においては、客観的証拠と自白との不一致、矛盾について、より慎重かつ科学的な検討を行うことによって、その自白の真実性を判断すべきである。また、過去の冤罪事件では、成人でも短時日で虚偽の自白をしているのであって、乙川らの自白が取調べ開始後短時間の内にされていることは、乙川らの自白の任意性・信用性の存在を基礎付けるものではない。本件事件に関する少年らの自白には、以下のとおり、いわゆる「秘密の暴露」がないだけでなく、捜査官の関与による核心部分についての著しい供述の変遷、供述内容の不自然性、客観的証拠との不一致などが存し、その信用性、任意性について強い疑問が存する。
(一) 少年らの供述内容は、捜査官が当初から確知していた残土置場に死体を遺棄したという点及びブラスリップを使用して花子を絞殺したとの点を除いて、以下のとおり、強姦の未遂・既遂、強姦場所、殺害場所、殺害態様及び共犯者等の事件の骨格部分について著しい変遷を示しており、これらの事実からすると、少年らの自白は、捜査官の誘導、操作及びこれらに対する少年らの迎合によって作り上げられたものというべきである。
(1) 乙川らは、七月二三日及び同月二四日の当初の取調べ段階では、姦淫の具体的内容については全く触れず、姦淫未遂の供述をしており、警察から検察庁への送致事実も姦淫の点は未遂とされている。ところが、検察官が同月末頃、本件事件の捜査当時の鑑定人柳田純一(以下「柳田鑑定人」といい、同人作成の鑑定書〔乙二〇〕を「柳田鑑定」という。)から、「被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が遠くに見える。」旨の精液の存在を認めるかのような情報を得た後の八月二日ないし三日になると、突如、しかも乙川ら全員がコンドーム着用による姦淫既遂の供述をし、同月七日ないし一〇日になると後背位による性交ないし肛門性交、口淫等の供述が現れ、検察庁から家庭裁判所への送致事実も姦淫既遂とされた。
このように強姦に関する乙川ら全員の供述が、検察官において柳田鑑定人から精液の存否に関する情報を得た後に、ほぼ同時期に一様に以前の供述とは全く異なる行為態様に変更されているという供述の変遷過程からすれば、右変遷の理由は、当初、捜査官が死体解剖時に得た花子の処女膜が健存しているとの事実を前提とした捜査方針に基づく捜査を行っていたのが、柳田鑑定人から精液の存在や肛門開大といった情報を得たことから、検察官主導で、花子の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が存在するとの判断のもとに、①右四か所の精液の存在及び肛門開大の存在から、口淫、肛門性交が存在したとする、②精液の反応が十分とはいえないことから、乙川らがコンドームを使用して花子を姦淫したとする、③処女膜が健存していることから、膣への陰茎挿入の点については曖昧な供述とするという捜査方針に変更したことに基づくものというべきであり、このことは、少年らの自白に七月二三日ないし二四日段階では姦淫内容の具体的供述が存在せず、八月二日ないし三日から突如としてコンドームを使用しての姦淫既遂の供述内容が現れているように、その供述の変遷が右捜査方針の変更に符合していることからも明らかである。なお、右捜査方針の変更により、草加署は、肛門開大の原因が後記(二)(3)のとおり実況見分上のミスにあり本件事件とは無関係であることを知りながら頬被りした上、少年法の全件送致の原則に違反して少年らの七月二五日から八月一日までの供述調書等を一切送致せず、花子のスカートに付着していた精液斑が少年らの血液型とは全く異なるAB型である旨の鑑定書等も検察庁に直ちに送致しないなどの証拠隠しを行った。このようにして作成された、乙川らの最終的な供述内容は次のとおりであり、当初の自白とは全く異なっている。
乙川 コンドームをつけ、膣に陰茎を五、六回挿入し、コンドーム内に射精した。
丙沢 コンドームをつけずに、陰茎を肛門及び口腔内に挿入し、射精した。
夏男 コンドームをつけ、膣に陰茎を挿入しようとしたが一センチメートル位入っただけで射精していない。
秋男 膣又は肛門に陰茎を挿入したが射精していない(コンドームの装着については不明)
(2) 乙川らの自白は、強姦及び殺害の各現場について次のように変遷している。
① 乙川らは、任意同行、逮捕直後の七月二三日ないし同月二四日の段階では、残土置場で花子を裸にして暴行しようとして抵抗されたため、姦淫については未遂に終わったが、同所においてブラスリップで花子の首を絞めて殺害し、死体を捨てた旨供述しており、緊急逮捕手続書の被疑事実も残土置場での暴行、殺害とされている。
② ところが、乙川らは、同月二五日以降になって、全員同時に、草加市稲荷町四丁目所在のスーパーマルコーの駐車場(以下「マルコーの駐車場」という。)で花子にいたずらをし、北公園で強姦をした上、車内で、乙川、夏男、丙沢がブラスリップで同女を絞め殺し、車のトランクに入れて残土置場に運んだ旨の供述に変更し、右供述は八月三日頃まで基本的に維持された。
③ さらに、少年らは、同月四日以降、北公園で強姦し、草加東高校(以下「東高校」という。)裏で殺害した旨供述を変更し、北公園、東高校裏、残土置場においてそれぞれ単独で実況見分を行う中で犯行場所に関して詳しく供述するようになり、同月一二日に実施された乙川、夏男、丙沢三人合同による実況見分を経て、検察官に対する同日付けの供述調書で供述の不一致点が調整された供述がされている。
(3) 乙川らの供述は、右(1)、(2)のほか殺害態様、共犯者等の事件の骨格部分というべき事項についてぐるぐると変遷しており、その変遷過程や同月一二日に乙川、夏男、丙沢の三名が一緒に実況見分させられた後に急転回して各供述が一致させられていく供述過程にも、捜査官による強い誘導、示唆や残土置場等の犯行現場に関する繰り返しの引き当たりによる予備知識と現場勘の事前形成等の捜査技術によって、捜査官が知り得る犯行現場の客観的事実等から推理作成した筋書きに少年らが迎合黙従していったことが露骨に現れている。
(4) 乙川らと行動を共にしていたAは、七月の段階の任意取調べの時から一貫して本件事件について、少年ら全員が無関係であると否認し続けていたが、八月一三日頃から自白に転じ、その後作成された検察官に対する供述調書では、すでに変転の末に固まっていた乙川らの北公園での強姦、東高校裏での殺害という筋書きによる犯行経過を供述している。
(5) Bは、調書は提出されていないものの、すでに七月二三日から三日間の任意取調べにおいて、自身が花子の殺害に加担した旨の自白(犯行現場については乙川らと同様に最終的に供述された現場とは異なる供述をしていたものと推定される。)をしていたが、司法警察員に対する八月七日付け供述調書以降、乙川らの供述に合わせて供述内容を変更し、乙川らによる北公園での強姦、東高校裏での殺害の事実を供述するに至った。
(6) 少年らの取調べに際しては、以上に述べた捜査官による示唆、誘導等のほか、捜査官によって少年に暴力が振るわれており、これらによって、肉体的にも精神的にも抵抗力を持たず、表現能力もはるかに劣る少年らが、捜査官に迎合黙従してたやすく嘘の自白をし、捜査官の意のままの自白調書が作成されていったのであり、少年らの自白はまさに虚偽自白作成過程の典型といえる。
(7) 少年らは、花子の死体の顔面に立てかけられていたコンクリート敷石、眉間の傷、首に巻かれたブラスリップの結びなど捜査官においてもその具体的犯行態様や時期が解明できない事実については曖昧な供述に終始し、又は殆ど触れないでいる。右事実は、いずれも真犯人であれば当然すべて合理的に説明できる事柄であり、真に犯行を認めた者ならば何ら隠す必要のない事柄であることからすると、少年らが右のような供述をしていることは、その自白が捜査官の誘導によって作り出されたものであることを如実に示すものである。
(二) 少年らの自白内容は、以下のとおり、客観的証拠ないし事実と積極的に矛盾、抵触する部分が多数存する。
(1) 乙川らの前記(一)(1)の強姦既遂の供述は、花子に処女膜が健存し、性交経験がないとの客観的事実に明白に矛盾する。
控訴人らは、陰茎が挿入されても処女膜が健存することもあるのであるから、花子に処女膜が健存していたとしても、乙川らの強姦既遂の供述と矛盾しない旨主張するが、本件事件のように花子の意に反しその陰部に無理矢理何回も陰茎が挿入された場合にもなお処女膜が健存するとは考えられない。少なくとも処女膜や外陰部に姦淫されたことを示す何らかの痕跡が残ったはずであるが、そのような痕跡は全く存在しない。
(2) 丙沢の肛門内、口腔内へのコンドームなしで射精した旨の供述は、花子の体内に精液及び精子の存在が認められないとの事実に矛盾する。これに反する柳田鑑定は、後記4(一)(2)のとおり誤りである。
(3) 丙沢の肛門性交の供述、秋男の「四ツンばいをさせて後からオマンコした。」旨の供述は直腸内のみならず、肛門周辺や大腿部にも精液、精子が検出されていないこと、強姦終了後に花子が身につけたとされるパンティやスカートにも丙沢の精液斑が検出されていないこと、花子の肛門部には、肛門性交の経験がない少女が乱暴に陰茎を挿入されれば普通生じる裂傷等がなく、陰茎が挿入された所見もないといった事実に矛盾する。
柳田鑑定人による死亡解剖時に花子の肛門が開大していたことは、本件事件とは関係がない。すなわち、仮に生前に肛門性交があったとしても肛門は直ちに閉じるものであって、開大したままであることはありえないし、柳田鑑定人による解剖に先立って草加署安置室で実施された警察官による死体の実況見分時には肛門が閉じていたこと、肛門開大の原因としては肛門括約筋を含む全身の筋肉に死後硬直が強く発生した時間帯に機械的に緩解をきたす行為が加えられた場合が考えられることからすれば、肛門開大は、花子の死後、本件事件とは必ずしも関係のないところ(捜査官による死体の実況見分等)で生じた可能性が高い。仮に死後の肛門性交が行われたことに基づくものであったとしても、それは生前に肛門性交をした旨の乙川らの自白と明らかに矛盾することになる。柳田鑑定は、死体解剖時における花子の肛門開大の事実に引きずられて直腸内の酸性フォスファターゼ試験結果を陽性と判定したといわざるを得ず、それが捜査当局に誤解を生み、迎合しやすい少年らに対する虚偽の供述の押しつけを導き、本件姦淫供述が形成されたというべきである。
(4) 大阪市立大学医学部教授助川義寛作成の鑑定意見書(乙七。以下「助川意見書」という。)によると、本件では、花子に対する絞締力が弱かったため、花子の呼吸困難の経過が長く、ために肺浮腫が惹起し、気管支枝に泡沫性液状を貯留することにより肺胞呼吸面も閉ざしたことで動脈血の酸素欠乏により脳神経細胞の機能障害が生じて花子が窒息死したものであり、死亡場所も東高校裏ではなく残土置場であったと認められる。しかるに、乙川及び丙沢の自白調書では、花子の頸部を絞めるため、「両名がブラスリップの両端を持って、二、三分もの長い時間、思い切り引っ張った。」とされ、極めて強い力が加わったことになっているほか、花子が東高校裏で死亡したとされているのであって、右自白調書の内容は、右の頸部の絞締力が弱かったという事実及び花子が残土置場において死亡したとの事実に反する。
(5) 花子の頸部に巻かれていたブラスリップの結び方が特殊で、乙川らの供述、犯行の再現内容と一致しない。真犯人であれば当然説明し得るはずのこのような特異な結び方をした動機についても、乙川らは供述をしていない。
(6) 乙川らの自白上、仰向けにして運び、放置したとされる花子の死斑が背部のほかに前胸部、頬部にも発現していて、右自白と矛盾する。
(7) 少年らの最終的な自白の内容は、殺害現場が東高校裏舗装道路上であり、殺害方法が、少年らが花子着用のブラスリップを剥ぎ取り、乙川がこれを両膝をついて立っている花子の頸部に巻きつけて絞めつけ、花子が後ろに倒れたあと丙沢と乙川の両名でそのブラスリップの両端をそれぞれ引っ張って頸部を絞めた、殺害後、乙川、丙沢、夏男は、花子を抱えて残土置場に運び、死体発見現場に投棄した、花子は、強姦、殺害の一連の犯行に際し一貫して両足とも靴を履いていたというものであるが、右自白は以下の客観的事実と矛盾する。
① 花子の首に巻かれていたブラスリップの中には灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたにもかかわらず、東高校裏舗装道路上には灰白色の泥土様のものは存在しない上、少年らの自白による殺害態様によってはこのようなものをブラスリップの中に巻き込むことは不可能である。
② 花子の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れていること、花子の右靴が死体の足元の直近から、左靴が右靴よりも残土置場入口に近い同所中央部からそれぞれ発見されていることからすれば、花子が左靴が脱げた状態で残土置場内を歩いたと考えざるを得ない上、シャツとスカート後面が同じような状態で土砂により著しく汚れており、花子がシャツとスカートを着たまま泥土の地面上に仰向けに押しつけられた可能性が高い。
③ 右①、②の事実からすると、花子に対する暴行ないし猥褻行為及び殺害行為は残土置場ないしその付近で実行された可能性が高く、少年らの最終的な自白と矛盾する。なお、少年らの自白では、花子のスカート後面に靴跡が印象された時期、機会を説明できない。
(8) 丙沢の自白上、丙沢が1.5メートルの高さから重さ約12.5キログラムのコンクリート敷石を花子に向けて投げつけたとされているが、花子の顔面の損傷は鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まっており、右重量のコンクリート敷石の投石により形成された損傷としては余りに軽微にすぎ、しかも、コンクリート敷石によって眉間部の損傷を発生させ得る可能性としては犯人が敷石をもってその角稜部を花子の鼻根部分に軽くぶつけるような態様しか考えられないという事実にも反している。
(9) 夏男の自白上、同人が花子のシャツを投げ捨てて逃げる途中、ゴロゴロという音(丙沢が投棄したというコンクリート敷石が転がる音)を聞いたとされているが、右自白は、コンクリート敷石の上に右シャツが載せられていたという事実に反する。
(三) 本件事件では、乙川らが強姦、殺人の実行行為をした旨の自白を裏付ける証拠が存在しないばかりか、次のとおり、捜査の結果、当然に裏付けが得られてしかるべきであると思われる事項についても少年らの自白内容を裏付ける客観的証拠が存在しない。
(1) 少年らの自白上、少年らが花子を長時間乗せていたとされる車両二台からは、多数の指紋、足跡、毛髪等の遺留物が採取されているが、花子のものと特定できるものはなく、また、犯行現場から採取さた足跡、タイヤ痕、花子の着衣等の遺留物には少年らと花子が接触したこと及び少年らと花子が犯行現場に立ち入ったことを示す痕跡が一切ない上、乙川らの着衣、靴等からも乙川らが残土置場に立ち入った痕跡が認められないなど、少年らの本件犯行内容に関する自白を裏付けるものは一切発見されていない。
(2) 乙川らの花子の肛門内、口腔内に射精したという自白にもかかわらず、後記4(一)(2)のとおり、花子の体内、体表、下着等の衣類からは乙川らの精液は一切検出されていない。
(3) 少年らの自白上、強姦行為に際し使用し現場に捨てたとされるコンドームが一つも発見されていない。
(4) 丁海冬子は、夏男が「八潮市中央病院の近くで甲野を見た」と述べた旨供述している。しかし、夏男が話をした内容は、七月一九日の深夜、甲野方前で花子が男と話しているのを目撃したというものであると認められ、丁海冬子の供述は、伝聞に当たるものであり、その内容も当初の話から変容していて不正確なものであるばかりか、その供述内容も「甲野を見た」というだけで「連れ去った」とも「強姦した」とも「殺した」とも述べたものではないのであって、少年らの犯行を裏付けるものではない。
(四) 本件事件当時の少年らの実際の行動は以下のとおりであり、少年らにはアリバイが存在する。
(1) 少年ら及びC(以下「C」という。)は、七月一八日夜、自動車(ブルーバード)で八潮市内を乗り回しているうち、乙川の姉である乙川三枝子と遭遇し、同女に追跡されたが、同月一九日午前一時頃、同女の追跡を振り切って八潮市大瀬に至り、同所で自動車(クラウン)を窃取した。少年らが乙川三枝子の追跡を振り切った時刻が同日午前一時頃であることは、乙川三枝子の申告を受けた警察官が確認していることから明らかである(乙一二〇)。
(2) 少年らは、同日午前一時四〇分頃、右で窃取した自動車を含む自動車二台に分乗して足立区花畑に赴き、同所で車上狙いやポリタンクの窃取をした。
(3) 乙川及び秋男は、同日午前二時頃、Cを東京都足立区北加平所在の同人方に送って行き、その後花畑に戻って他の少年らと合流した。少年らは、同所でガソリン窃盗、電話機荒し等をした。
(4) 少年らは、同日午前二時四〇分頃、自動車二台に分乗して、C方へ行き、同人の母Dと話をした。
(5) 少年らは、C方を出て八潮市大曽根二〇九三番地先空地(以下「大曽根の駐車場」という。)に向かい、同日午前三時頃同所に到着し、同所で朝まで過ごした。
Dは、Cが同日午前一時頃自宅に戻った後、二時頃、少年らがC方を訪れ一〇分位居た旨供述しているが、Cが自宅に戻った時刻は少年らが乙川三枝子の追跡を振り切った時刻が同日午前一時頃であることからして午前一時頃であるはずがなく、また、その後の少年らの行動からして、少年らがC方を訪れたのが午前二時頃であるはずはない。Dは、寝入りばなを起こされた時の記憶に基づき、また、自宅に戻ったのが午前一時頃である旨のCの誤った供述に影響されて右のような供述をしたものであって、その供述の信憑性は薄く、少年らの行動を認定する証拠とすることはできない。
また、少年らの一部の者は、大曽根に着いた頃空が明るくなっていた旨供述しているが、夜明けは日の出(同日の日の出の時刻は午前四時三九分)よりも約五〇分早いとされており、中篠かよが午前三時過ぎに草取りに出掛けたと供述しているように(甲一四六)、午前三時頃には空が明るくなっていたというべきであって、丙沢及び夏男の前記供述に矛盾はない。更に、三好勇は、同日午前三時三〇分頃、右大曽根の空地付近を通ったところ、空地には自動車は駐車していなかった旨供述しているが、右供述は、同人が当初分からない旨答えていたのに対し、警察官が同人の下を一〇回位訪ねて強引に右のような供述を引き出し、作り上げたものであり(乙一二一)、右供述が二か月も前の特定の日に自動車がなかった旨明言するものであることを考慮すると到底信用できないものである。
4 少年らが本件事件に関与したとの根拠となっている柳田鑑定及び柳田鑑定人の尋問調書(甲八三。以下「柳田の尋問調書」という。)は、以下のとおり、花子の体内に精液が存在したか否か、頸部損傷の成因等の点について信用性に疑問が存し、これを根拠として少年らが本件事件に関与したと認めることはできないものである。
(一) 柳田鑑定人による花子の死体の解剖前に、捜査機関が死体の見分を行い、花子の頸部に巻かれていたブラスリップを切断し、顔面の血痕を拭き取り、硬直部所を緩解させ、又は体内外の付着物等を検索するなどしたため、柳田鑑定人は、花子の死因、死後経過時間等の鑑定上不可欠な資料を自身で見分できなかったものであって、柳田鑑定及び柳田の尋問調書には重要な部分について曖昧な点が多く、死体解剖に立ち会った司法警察員及川吉治作成の解剖立会い結果報告書(乙一九。以下「及川報告書」という。)とも矛盾していて、信用性に疑問が存する。
(二) 柳田鑑定は花子の体内に精液が存在したとする点で誤りである。
(1) 柳田鑑定は、花子の体内における酸性フォスファターゼ反応が、
① 膣内容 淡紫青色(一実験)、
淡紫赤色(二実験)
② 直腸内容 微紫青色(一実験)、
微紫赤色(二実験)
③ 胃内容 淡紫青色(一実験)、
淡紫赤色(二実験)
④ 気道内容 微紫青色(一実験)、
微紫赤色(二実験)
であって、①ないし④がいずれも弱く又は極めて弱く陽性の成績を呈したことにより、右各部所に極めて少量の精液が存在したとして、鑑定主文で、明言できないとしながらも「膣、直腸、気道、胃内には極めて少量の精液が存在していたのではなかろうかと考えるのが妥当であろう。」とした。
しかし、北里大学医学部教授船尾忠孝作成の意見書(乙六。以下「船尾意見書」という。)、藤田学園保健衛生大学医学部教授内藤道興作成の意見書(一)(乙二一。以下「内藤意見書(一)」という。)、同意見書(二)(乙二二。以下「内藤意見書(二)」といい、内藤意見書(一)と合わせて「内藤意見書」ともいう。)及び原審証人内藤道興の証言(以下「内藤証言」という。)によると、精液は、その量の多少にかかわらず酸性フォスファターゼ試験に著しく鋭敏に反応し、陽性の場合には「濃青色」を呈し、ほんの僅かな量、すなわち精液斑の痕跡が付着した繊維片一本でも反応するものであるが、酸性フォスファターゼはヒトのほぼ全身の主要臓器に広く分布し、同試験は精液以外の膣液、糞便等のヒト体液などにも陽性反応を示すため、同試験のみでその対象が前立腺由来のもの(精液)か否かを厳密に識別することは困難であり、また、L酒石酸により酸性フォスファターゼ反応が阻害された場合でもそのことによって直ちに前立腺由来の酸性フォスファターゼであるとの確証は得られず、しかも、右試験成績が弱陽性反応を呈する場合には特異的な精液の証明とはならず、精液の存在が証明されたと結論づけることは極めて危険であって、人体内から採取した検査対象の場合には精子そのものを確認しない限り姦淫の事実の存在を証明する根拠とはできないことが認められる。本件事件の場合、少年らの自白を前提とすると、射精後四〇ないし五〇分後に花子を殺害したことになるから、精子が発見される可能性が高いにもかかわらず精子が発見されていないこと並びに試験結果が膣、直腸、気道及び胃の各内容物とも同じであることなどからすると、右試験結果は、精液以外の花子の体液によって生じた類似反応と見るべきであり、柳田鑑定における精液検査の結果からは、花子の体内に精液が存在することが証明されなかったと判定するのが妥当であって柳田鑑定の結論は誤りである。
(2) 柳田鑑定の結果と乙川らの姦淫供述とは矛盾している。丙沢の自白によると、丙沢はコンドームをつけないで肛門、口腔内に射精したというのであるから、その量は極端に少量とは到底考えられず、仮に自白が真実であれば、酸性フォスファターゼ試験では直腸、胃及び気道の各内容物について、明確な「濃青色」反応を呈するはずであるところ、柳田鑑定の結果では直腸の内容物が「微紫青色」、胃及び気道の各内容物が「淡紫青色」を呈したというのであるから、右自白と柳田鑑定の結果とは矛盾する。なお、精液は、その量がほんの僅かであっても酸性フォスファターゼ試験に著しく鋭敏に反応するから、精液の量が少ないことにより右試験の結果が「微紫青色」や「淡紫青色」を呈することはあり得ない。また、少年らの自白によると、膣には精液が存在しないはずであるが、酸性フォスファターゼ試験では膣の内容物と直腸、胃及び気道の各内容物とが同様の反応を示しており、少年らの自白と柳田鑑定の結果が矛盾している。
なお、柳田鑑定人は、前記東京高等裁判所の抗告審において、花子の肛門が解剖時に開大していたことを受けて「肛門性交の場合、開大によりそこから九分九厘漏れ流れてしまう。」旨供述している(柳田の尋問調書)が、少年らの自白によると肛門は直ちに閉じたはずでそのような可能性はあり得ないだけでなく、仮に精液が肛門から漏れ流れたとしても、精液が完全に流れ出ることはあり得ず、酸性フォスファターゼ試験に鋭敏に反応するはずであるし、流れ出た精液が姦淫後直ちに花子が身につけたとされるパンティや肛門周辺に付着するはずであるが、これらの部所には精液の付着は一切認められていないのであって、右供述は信用できない。
控訴人らは、口腔に入った精液は吐き出すのが自然であるから、胃及び気道に精液が残留することはない旨主張するが、花子が精液を吐き出したとの事実は乙川らの自白にはなく、他にこれを立証する証拠もない。また、肛門性交についても陰茎を肛門に入れたのではなく、下肢の股と陰部との間に入れて射精した旨主張するが、右主張は何ら裏付けがないばかりか、花子の股や大腿部等の体表面又はパンティ、スカート等の衣類に乙川らと結びつく精子、精液の付着が認められないという客観的事実に反するものである。
(3) 柳田鑑定は、花子の膣内に精液が存するという結論であるが、これは、花子の処女膜が健存しているという客観的事実と矛盾する。なお、柳田鑑定人は、膣内容物採取の際、膣周辺の体表面に付着していた精液が膣内に入った可能性があることを指摘する(柳田の尋問調書)が、右指摘は花子の体表面に精液が付着していなかったという客観的事実に反する。
(4) 以上のとおり、花子の体内に精液は存在しなかったと見るのが正しく、これに反する柳田鑑定は誤りであって、少年らの自白も虚偽であることが明らかである。
(三) 花子の頸部損傷についての柳田鑑定は以下のとおり疑問が存する。
(1) 柳田鑑定は、花子の頸部には、幅四ないし七センチメートルで陥没が認められない帯状のやや著しく蒼白の部分と、幅0.2ないし0.5センチメートルの索溝及び皮膚の変色部が存するとし、右二つの損傷について区別することなく「頸部を比較的強く圧迫したために引き起こされたものと考えられ、致命傷」と認定し、その成傷器について「表面の滑らか、ないし、やや滑らかでないもので頸部を圧迫することにより引き起こされたもの」と推定している。また、柳田の尋問調書では、右幅の狭い変色部はブラスリップの一周目と二周目との間に挾み込まれたことによる皮内出血の可能性を指摘している。
(2) しかし、柳田鑑定は、成傷器の幅についての記載が一切ない点で、柳田鑑定人が解剖時には「表面の滑らか、ないし、やや滑らかでない幅の狭いもの」と明確な指摘をしていたとする及川報告書と矛盾するし、仮に解剖後の精査により柳田鑑定人の判断が変更されたとしても、その点について何ら合理的な説明がされていない。
(3) 前記幅の広い蒼白部は、ブラスリップ様の繊維製品によって生じたものといえるが、幅の狭い変色部は、可能性として、①ブラスリップ様の繊維製品の内に0.2ないし0.5センチメートルの幅の水平に走る表皮剥奪と索溝を生じ得る異質の硬組織が含まれていた場合、②幅0.2ないし0.5センチメートルの別種の紐類が使用された場合が考えられるところ、右①については、ブラスリップ様の繊維製品のうち硬組織として考えられるブラスリップの肩紐部分が二周目の外側の結び目部分に表れている上、ブラスリップのブラジャー部分周囲の固い部分も同様の位置関係にあることから、その可能性が否定されることを考慮すると、成傷器としては平紐状の索条体が推定されるのであって(助川意見書)、柳田鑑定の結論は誤っている。
なお、柳田の尋問調書における「幅の狭い変色部はブラスリップの一周目と二周目との間に挾み込まれたことによる皮内出血の可能性」があるとの指摘は、通常、索条体の挾み込みによる皮内出血を作るのは、質の固い紐、ロープ等であり、質の柔軟なブラスリップでこれを作ることは極めて困難であるし、挾み込みによる皮内出血による形状は細長い紡錘形を基本形とし、それを組み合わせた形状とされているのに、本件では殆ど頸部を周囲するに近い索痕の形状であり、右の一般的形状とは一致しないことから否定されるべきである。
(4) 以上のとおり、花子の頸部周囲の幅の狭い変色部は、絞殺に際し、ブラスリップとともに、あるいはブラスリップとは別の機会に、ブラスリップ以外の別種の紐類が使用されたことによって形成されたものと考えるべきであり、この事実は頸部成傷器に関する乙川らの自白と明確に矛盾し、右自白の信用性を否定するものである。
四 控訴人らの反論
1 被控訴人らは、少年らの自白の任意性に関し、少年らの自白は捜査官の誘導と少年らの迎合による合作である旨主張するが、以下のとおり、右主張は理由がない。
(一) 乙川は、七月二三日、草加署において取調べが開始された後約三〇分で花子殺害の事実を認めた。丙沢及び夏男は、同日朝から、草加署において取調べを受け、同日夜、自白をした。これに対し、秋男は八月五日になって自白をした。Bは、七月二三日、草加署における任意の取調べにおいて、自分は関係ないが仲間に聞いてくれと答え、その後も仲間の犯行は匂わしたが自分の関与は否定していたもので、八月四日に逮捕され、同月一五日になって始めて上申書において乙川らが殺害の相談をしていたのを聞いた旨自白した。Aは、長らく否認していた。
このように、主犯的立場にあった乙川が何らの抵抗もしないまま取調べ開始後約三〇分で自白し、また花子の殺害に加わった丙沢及び夏男がその日のうちに自白しているのは、花子の殺害が直接自分自身のことであるからという潔さと諦めが働いたことによるものであり、これに対し、秋男、B及びAは、自分が喋れば仲間が不利になる上、本件事件のことを誰にも喋らないとの少年らの約束を破ることになるとの意識が強くあり、自分が花子の殺害に加わっていないという気軽さからかえって否認を続けたものと思われる。
本件事件が捜査官によって作出された冤罪事件であるとすれば、捜査の常道として、直接犯行に加わらなかった者を無理にでも自白に追い込み、これを梃子にして直接犯行に加わった者を自白させるというのが通常であるが、本件では、直接犯行に加わった者であって、しかも主犯格の乙川から自白が始まっているのであって、右捜査の常道に反するものであり、右自白の経過は、本件事件が冤罪事件でないことを示すものである。
(二) 被控訴人らは、少年らが任意取調段階で暴行、脅迫を受けたことにより自白した旨主張するが、以下のとおり、右主張は理由がない。
(1) 乙川の性格は、浦和家庭裁判所の少年院送致決定中で「その前後に犯した窃盗の手口も大胆かつ積極的なものであり、ことに少年は、共犯者らの中の最年長者として終始主導的役割を演じながら、反省悔悟の念は全く薄く……知能面においては準普通域にあるが、性格面において、気弱で自信、自発性、耐性が乏しく、自己顕示性、欲求本位の行動傾向が高く、現実洞察に欠け、物事に感情的に反応し、他罰的で、内省・共感性・対人協調性に欠け、目上の者や規制に対し表面的には一応従う姿勢を示しながらも、自己の意志が無視されるや、反感や攻撃性を内に秘めるなど偏りが認められ」と指摘されているように、非行少年の典型的な面が窺われ、同年配の少年に比べて相当したたかな人間性が認められる。
乙川は、捜査官から暴行、脅迫を受けたため自白した旨主張するが、取調べ開始後約三〇分間という短時間にこのようなしたたかな少年を自白させるほどの暴行、脅迫が加えられたとすれば、その程度は相当強度なものでなければならないはずであり、そうだとすれば、七月二四日の検察官による弁解録取、同月二五日の裁判官による勾留質問の際など、右暴行、脅迫の事実を訴える機会は何度もあったのに、それを全く行うことなく被疑事実を認める旨の供述をしていることは極めて不自然、不可解なことというべきである。
乙川は、否認に転じた後の浦和家庭裁判所の少年審判期日における供述、その抗告審における供述及び最初に否認をした八月一九日付けの「事件の日の行動」と題する書面において、いずれも当然に触れられてしかるべき捜査官の暴行、脅迫の事実に触れておらず、単に、従前捜査官に対し虚偽の自白をした理由として、①警察に何度言っても信じてくれないから、切りがないから、でたらめを言った、②皆やったと言っているのだぞと騙されたという二点を供述しているにすぎないことからすると、乙川が捜査官から暴行、脅迫を受けたため自白をしたということはあり得ないものである。
(2) 夏男は、否認に転じた後の浦和家庭裁判所の少年審判期日において、取調べ開始当日に自白した理由として、捜査官から証拠がある、先輩がやっていると言っていると言われたためである旨供述しており、捜査官の暴行、脅迫があったとは供述していないし、その抗告審においても捜査官の暴行、脅迫に起因して自白したものではない旨供述している。
(3) 秋男は、抗告審において、警察官から殴られるとか怒鳴られるとかしたことはない、警察官からみんなやっている旨言われて自分でもやったのかもしれないと思って自白した旨供述している。
(4) Bは、七月二三日の任意取調べから怒鳴られ、髪の毛を掴まれ、おでこを机に二、三回叩きつけられるなどの暴行を加えられ、自白させられた旨供述している。しかし、同日の取調べでは、Bは、「花子を八潮中央病院で乗せて、三中裏の田圃道まで連れていき、乙川ら三人が連れ出してしばらくして、駆け足で戻ってきた」という事実を述べた程度で、強姦も殺人も関係ないとの供述をしていたものであり、これは同月二四日の取調べでも余り変わりはないのであって、これだけの事実を自白させるために前記のような暴行が加えられたというのは考えられないことである。また、Bは、右暴行の結果、同月二四日及び二五日に花子殺害の自白をさせられた旨供述しているが、右段階で自白させられていたとすれば、逮捕後の八月七日、八日及び一〇日の調書において花子殺害の記載があるのが自然であるのにその記載がなく不自然である。Bは、抗告審において、捜査官に対し自らの意思で供述したことを認めている(乙九六)。Bの捜査官から暴行を受けて自白した旨の供述は信用できない。
(5) 丙沢は、浦和家庭裁判所の少年審判において、虚偽の自白をした理由として、「本当にやっていたらと思うと、やった気持ちになってきました」と供述しており、捜査官から暴行を受けたとの供述はしていない。
(6) Aは、取調べ後長らく否認をしていたものであり、捜査官から暴行を受けた形跡はない。
(7) 以上の次第で、少年らが任意取調段階で暴行、脅迫を受けたことにより自白した旨の被控訴人らの主張は理由がない。
2 少年らの自白は、以下のとおり、信用できるものである。
(一) 少年らが自白に至る経緯は次のとおりであり、右経緯にかんがみると、少年らの自白は信用できるものである。
(1) 乙川は、七月二三日午後二時又は三時頃から、草加署において取調べを受け、約三〇分して花子を殺害したことを認めている。乙川は、否認に転じた後、右自白について弁解しているが、これは、右1(二)(1)のとおり信用できないものである。乙川が殺人という重罪について、しかも事実を認めることがどのような意味を持つかを十分に承知した上で、右のように取調べを受けた後早い段階で花子殺害の事実を認めたことは、右自白が真実であるためと理解するほかない。また、警察における取調べは、始めは被疑者に言うだけ言わせておいて、その後矛盾点を追及して自白に追い込むものであり、最初からお前がやっているんだと怒鳴りつけて言わせるなどという方法をとるはずがない。捜査の常道からみて、乙川が取調べ開始後約三〇分で自白したことは、それが真実であるからというべきである。
乙川は、否認に転じた後も花子を殺害したことに関して思わず真実を吐露している。すなわち、乙川は、浦和家庭裁判所における九月六日の少年審判期日において、付添人の「ブラスリップというのは分かりますか。」という質問に対し、「初めなんか紐を探したけどなくて、丙沢がシャツとブラスリップを自分に渡したからです。」、「車のトランクの中に紐を見たことがあって、それでトランクの中に紐があると思っていた。」と答えている。また、乙川は、右審判期日において、付添人の質問に対し、自らの意思で花子を自動車に乗せた場所、乗せた時間、強姦の事実、殺害場所及び花子を投棄した場所が残土置場であることを供述した旨答えている。
乙川は、浦和家庭裁判所における八月二六日の少年審判期日において、両親と共に夏男の証人尋問に立ち会った際、裁判官から夏男に聞くことがないかと問われ、証人に聞くことはないと答えている。事実無根であれば何故夏男を問い糺そうとしないのか、まことに不可解である。
乙川は、抗告審において、八月一三日の観護措置決定のとき、質問室に刑事がいたから真実を言えなかった旨弁解している。しかし、裁判官から、「既に勾留質問の経験があり、観護措置では警察に戻らないことを知っているはずだ」と質問され、答えられなかった経過があり、右弁解は単なる言い逃れであったことが窺える。
以上のように、乙川の自白は信用し得るものである。
(2) 夏男は、七月二三日朝、草加署に連行され、取調べを受け、同日午後一〇時頃自白をし、その後九月六日に否認するまで花子殺害の事実を認めていた。夏男は、八月一三日、観護措置のため浦和家庭裁判所の待合室で乙川、丙沢と三人だけになり、同人らと否認する旨意見を合わせたが、同日の観護措置決定をするについての裁判官からの質問に対し、花子の殺害を否認しなかった。乙川らが花子を殺害していないことが真実であれば、三人でやっていないと確認し合った以上、直ちに裁判官に真実を述べ、今までの供述は嘘であった旨訴えるのが自然である。夏男が、右のように裁判官からの質問に対し、花子の殺害を否認しなかったのは、花子を殺害したことが真実であるからにほかならない。更に、夏男は、観護措置決定を受けた後の八月一七日に「今の気持ちについて」と題する書面(甲八二の添付書面)を書き、反省の情を綴っているほか、浦和家庭裁判所調査官に対しても花子強姦及び殺害の事実を認めた。これらは、少年鑑別所の落ち着いた生活の中で何ら強制のない状態でされたものであり、虚偽の事実を記載し又は供述したとは思えないものである。
夏男は、浦和家庭裁判所において八月二六日に行われた乙川及び丙沢の各少年審判期日に証人として出廷し、乙川及び丙沢が犯行を否認していることを知りながら、かつ、同人らの親の面前でそれぞれ花子強姦及び殺害の事実を認める供述をした(甲二一、二四)。夏男は、昭和六一年三月四日の抗告審における尋問において、右点について、当時は乙川や丙沢が犯行を認めていたと思い右のような供述をした旨弁解している(乙九五)が、夏男は、浦和家庭裁判所において九月六日に行われた少年審判において、乙川や丙沢が少年審判において否認していることを知っていた旨の供述をしており(乙八七)、右弁解が虚偽であることが明らかであり、夏男は、八月二六日の各少年審判期日において真実を述べたものである。夏男は、父や姉が殺人犯の父又は姉と言われるのが嫌であるなどの気持ちから犯行を否認するに至ったと思われる。
(3) 秋男は、七月二三日、草加署において取調べを受け、同日、少年鑑別所に入所し、八月一五日に教護院送致の決定を受けて武蔵野学院に入院した。
秋男は、七月二三日の取調べにおいては犯行を否認していたが、八月五日に少年鑑別所において警察官に取調べられた際自白し(甲九九)、同月二一日犯行を認める旨の上申書(甲一二六)を書いている。また、夏男は、同月二五日及び同月二八日、武蔵野学院において、寮長の塚田昇に対し、「僕は殺していないが他のやつがやった。」「強姦はやった。」と述べている。前記のとおり、右供述等が任意にされたことは明らかであり、特に武蔵野学院に入所してから虚偽の自白をする必要は全くない。夏男は、右自白について、「何かだんだん本当にやったのかもしれないなという考えが出て来て」、「最初は自分もその気に、やったと思って言ったから」などと言い訳にもならないことを言っている。真実犯行を犯していない者がこのような言い訳をするはずがない。夏男は、父親が花子の遺族から莫大な損害賠償を請求されるおそれがあることなどを心配して犯行を否認するに至ったものと推測される。
(4) Bは、七月二三日、草加署において取調べを受け、花子を自動車に乗せ、田圃道に置いてきたことは認めたが、強姦及び殺害の事実は否認した。Bは、八月四日に逮捕され、強姦の事実は認め、殺害の事実は否認し、同月一五日になって殺害の話があったことを認め、更に同月二一日に全面的に自白するに至った。Bは、同月二四日、観護措置決定を受けて少年鑑別所に入所したが、その後の同月二六日、浦和家庭裁判所において行われた丙沢の少年審判期日に証人として出廷し、花子強姦及び殺害の事実を認める供述をした(甲二六)。Bは、同月二一日まで詳細な自白をせず、逮捕後一七日間核心に触れない供述をしてきたものであって、その体験からすれば、右少年審判期日において否認することは簡単であったはずであるが、丙沢が犯行を否認していることを知りながら、かつ、同人の父親の面前で花子強姦及び殺害の事実を認める供述をしたものであり、右供述が虚偽であるとは考え難い。
Bは、九月一二日の浦和家庭裁判所における少年審判期日において否認に転じたが、その理由として丙沢が否認していることを聞いたからである旨供述している(甲八一)。しかし、否認に転じた理由が右のとおりであるとすれば、Bは、八月二六日に浦和家庭裁判所において行われた丙沢の少年審判期日に証人として出廷した際丙沢が否認していることを知ったはずであるから、その際犯行を否認しなかったのは不自然であり、右供述は信用し難い。
(5) Aは、七月二三日及び同月二六日に草加署で任意の取調べを受け、八月三日に逮捕されたが、同月一二日まで否認を続けていた。Aは、同日、自白し、同月二四日、観護措置決定を受けて少年鑑別所に入所したが、その後の同月二六日、浦和家庭裁判所において行われた丙沢の少年審判期日に証人として出廷し、事実を認める供述をした(甲二五)。Aは、花子強姦及び殺害の実行犯とされ深刻な立場にある丙沢及びその父親の面前で、乙川らが花子を強姦した等の事実を述べたものであって、真実であるからこそ右供述をし得たというべきである。
Aは、同月一二日に自白をした後、同月一九日、捜査官に対し、事件を報道した番組を録画したビデオテープを所持している旨告げた。これにより、右ビデオテープが領置されている。Aは、自分の自白が真実であることを裏付けるために右ビデオテープの存在を供述したものであり、いわゆる秘密の暴露に当たる供述をしたものであって、Aの自白には信用性が存する。
(6) 丙沢は、七月二三日の逮捕当日から一貫して犯行を認めていたが、八月一三日、観護措置のため浦和家庭裁判所の待合室で乙川、夏男と三人だけになり、同人らと否認する旨意見を合わせ、同月一九日「じけんの日のこと」と題する書面(乙八五の二)を書いて否認し、同月二六日の同裁判所の少年審判においても否認をした。しかし、丙沢は、右審判において、虚偽の自白をした理由について返答に窮し、「本当にやっていたらと思うと、やった気持ちになってきました。」と答えている。また、丙沢は、右審判期日において、証人として証言した夏男、B及びAが犯行を認める旨の証言をしたのに対し、右証言が虚偽であれば、「何故嘘をつくのか、真実を言ってくれ」などの当然されるはずの質問すらしていない。これらのことは、丙沢の自白に信用性があることの証左である。
(二) コンドームに関する少年らの自白はいわゆる秘密の暴露に当たるものである。少年らは、花子を強姦した際に夏男と秋男とが二個ずつ所持していたコンドームを使用したこと、そのコンドームは同人らが七月一〇日から一五日までの間に車上荒しにより窃取したこと及びコンドームの種類は四個ともまちまちであったことを自白し、これに基づき裏付け捜査がされた結果、右自白のとおりの事実が判明したものであり、少年らのコンドームに関する自白は秘密の暴露に当たるものであって、自白の信用性を高めるものである。なお、少年らは、コンドームを使用してみたいという好奇心を有していたと思われるのであって、コンドームを使用して花子を強姦した旨の自白について不自然な点はない。
(三) 少年らの自白は、以下のとおり客観的証拠と矛盾しないものである。
(1) 花子の処女膜が健存していたことと少年らの自白とは以下のとおり矛盾しない。
花子の処女膜は健存していたものであるが、処女膜の開口部は円形状であり、外部の刺激により開大し円形状となったものであって、勃起した陰茎の挿入が十分可能なものであった。花子は、以前埼玉学園に入園していた頃、同学園を逃げ出した際に性経験を持った可能性があり、また、両親の話からも以前に性経験があった可能性がある。したがって、花子の処女膜が健存していたことは、乙川の強姦既遂の自白と矛盾しないものである。
柳田鑑定、柳田の尋問調書及び原審における証人柳田純一の証言によると、花子の処女膜は一指がようやく通じる程度であって陰部には裂傷等の外傷がなく、男性の陰茎が挿入された痕跡はないとされている。しかし、柳田鑑定人が花子の陰部を見分した際には死後硬直があったとみるべきであり、死後硬直がある状態で一指がようやく通じる程度の処女膜であったとしても、その弾力性を考えると生前においては男性の陰茎が挿入されることが可能であったと認められる(当審証人長江大)。また、強姦事件であっても、必ず被害者が陰部裂傷等の外傷を負うものではないから、花子の陰部に裂傷等の外傷がなかったことが乙川の強姦既遂の自白と矛盾するものではない。
(2) 柳田鑑定において、酸性フォスファターゼ反応が、花子の膣、直腸、気道及び胃の各内容物につきいずれも弱く又は極めて弱かった原因としては、①極めて少量であるが精液が存在する、②精液が存在しないの二つの可能性が考えられる。そして、①、②のいずれであっても、少年らの自白と矛盾するものではない。すなわち、
① 乙川らの自白によると、丙沢のみが花子の直腸内及び口腔内に射精をし、他の者は射精していないから、丙沢の精液ないし精子が花子の直腸内及び口腔内に入った可能性はあるが、膣内に乙川らの精液ないし精子が入った可能性はない。
② 丙沢は、本件事件当時、一四歳一か月余で女性との性体験は皆無であり、性的感覚は未成熟な上、家出中の気の合う仲間と深夜人気のない場所で強姦をしようという異常な状態においては、その興奮の度合いは極度に達していた。しかも、丙沢は、リーダーともいうべき年上の乙川から姦淫の一番手を命じられ、乙川が後ろに控え、夏男及び秋男が今か今かと順番を待っている状況の中で、未経験による戸惑いと不安感や何とか遂行しなければならないという焦りがあり、加えて、姦淫場所が斜面になっており、更に、ズボンをはいたまま、短パンの右裾から陰茎だけを出して行為に及んだことなどが重なって、結局、陰茎を膣口に挿入することができなかった。丙沢は、何とかしたいという焦りから以前ビデオで見た肛門性交を思い出し、実行に移した。丙沢は、「甲野さんの肛門に押し当て、力を入れて中に入れようとしました。結局キンタマの頭のところだけが肛門の中に入りました。もちろん肛門にキンタマをいれたのはその時がはじめてでしたが、いい気持ちでした。そこで力を入れてもっと中に押し込もうとしたらキンタマから精液が出ました。」と供述している。しかし、肛門性交は、膣への挿入よりも更に困難であるから、丙沢は、陰茎を肛門に入れることができず、陰茎を下肢の股と陰部の間に入れたと考えられる。丙沢は、極度の興奮状態と焦りの中で陰茎を肛門に入れたと錯覚し、安堵するとともに快感を受け、これに力を得てさらに挿入したところ精液が出たと感じたものと認められる。
③ 通常、普通量の精液が出たとすれば、性的な満足感を得るはずであって、男性の行為はそれで終了する。ところが、丙沢は、姦淫行為終了後直ちに、再び姦淫行為に及んでいることからすると、右②の肛門性交類似の行為によっては通常の射精がなかったと考えることができる。丙沢は、二度目も姦淫に失敗し、膣への挿入を諦め、口腔性交を試みたが、陰茎だけを口の中に入れただけで直ちに快感を得て射精したようである。これも通常の量の精液が出たにしては簡単すぎ、擬似的な快感で終わったと見ることも十分に可能である。
以上のとおり、丙沢は、擬似的な快感を得たのみで精液が出なかったか、出たとしても極めて微量なものにとどまっていた可能性が存する。
④ また、丙沢が口腔性交で射精したとしても、口腔に入った精液は吐き出すのが自然であって、花子がその精液を飲み込むことは考えられず、精液が気道又は胃まで入り込むことは常識的に考えられない。丙沢は、「甲野さんの口の中に入れたのは、キンタマの頭の方だけでしたが、じきに精液がでました。」と述べており、この状態で花子が精液を思わず飲み込むことや、精液が花子の気道及び胃に入り込むことはあり得ない。口腔内射精があった場合、花子の口腔内に精液又は精子が残留することはあっても、胃、気道に精子、精液が残留することはないとするのが経験則に合致する。柳田鑑定においては、酸性フォスファターゼ試験がされたのは胃及び気道の各内容物であるから、右内容物について酸性フォスファターゼ反応がなくとも、口腔内に射精がされたことと矛盾しない。
⑤ 以上のとおり、酸性フォスファターゼ反応に関しては、花子の膣、直腸、気道及び胃の各内容物につき、①極めて少量であるが精液が存在する、②精液が存在しないの二つの可能性が考えられるが、いずれの場合においても少年らの自白と矛盾するものではない。
(3) 被控訴人らは、助川意見書に基づき、花子の頸部にブラスリップによる幅の広い圧迫痕のほかに前頸部右側から項部やや左側までに0.2ないし0.5センチメートルの水平に走る暗紫赤色帯状の変色部がみられることをもって、花子の絞殺にはブラスリップとは別種の紐類が別の機会に使用されたものであって、これは少年らの自白内容と矛盾する旨主張する。しかし、助川意見書は、以下のとおり信用できない。
① 助川意見書のとおりであるとすれば、花子の頸部の全周に三〇センチメートルの帯状の変色部分が残らなければならないと思われる。
しかるに、花子の頸部に存在する変色部は、前頸部右側の右耳朶部の前下方八センチメートルから水平後方に項部左側の左耳朶の後下方七センチメートル(後正中線の左方五センチメートル)のところまでの頸部全周の三分の一強しかなく、全周にはほど遠いものである。このように三分の一強の長さだけ帯状の暗紫赤色部分を残し、それ以外には全く痕跡を残さない索条体を考えることはできない。
また、助川意見書では縫い目がないことから平紐状の索条体を想定しているが、本件事件当時、平紐状のもので頸部右側から項部あたりまでだけの索痕を残すものが殺害現場の手近にあったとは考えられない。
② ブラスリップで細い帯状の変色部分が形成される可能性として、以下の三つの場合を考えることができるのであって、ブラスリップでは細い帯状の変色部分は形成されないと断定することはできない。
ア 花子の頸部にはブラスリップが二周して結ばれているが、一周目と二周目との間に同女の髪の毛が挾み込まれており、その位置は帯状変色部に完全に一致している。軟らかいブラスリップによっても一周目と二周目との間に髪の毛を挾み込むことによって隙間ができ、ブラスリップ本体によって圧迫された静脈が一周目と二周目との隙間に沿って集まり、鬱血を形成し、これにより細い帯状の変色部分が形成される可能性が存する。
イ 本件では必ずしも明確ではないが、花子の着用していたブラスリップのブラジャー部分の周囲には乳房の形を整えるために硬い縁取りがあるから、この周囲の硬い部分が頸部の皮膚を圧迫して索溝を残した可能性がある。
ウ ブラスリップの二本の肩紐のいずれかが帯状にブラスリップ本体に挾み込まれ、表皮に食い込んで索痕を残し、長さを調節する金具又はプラスチックが表皮を傷つけ、若干の表皮剥離を惹起することもあり得ないわけではない。
③ 以上のとおり、花子の殺害にブラスリップとは別種の平紐状のものが使用されたとは考えられない。
(4) 柳田鑑定、助川意見書は、いずれも花子の頸部圧迫にそれほど強い力が加わったとはしていないのに反し、少年らの自白では花子の頸部に巻いたブラスリップを力一杯引っ張った旨供述しており、右自白は、柳田鑑定、助川意見書の結論と矛盾するかのごとくである。しかし、一四、五歳の平均的少年の筋力は十分なものとはいえず、成人の力とは比較にならないし、花子を殺害しようというとても正常とはいえない精神状況下で加えた力は、仮に本人が力一杯といってもそれほど強いものであったとは考えられないから、頸部の絞め方の強度と少年らの自白とは必ずしも矛盾するものではない。
(5) 被控訴人らは、花子の頸部に巻かれていたブラスリップの結び方が特殊で、乙川らの供述、犯行の再現内容と一致しない旨主張する。確かに、乙川は、ブラスリップを一回だけ結んだと供述しているが、結び目について詳細に供述しているわけではなく、右供述では一重結びかコマ結びか必ずしも明確でない。ところで、乙川にとって、仲間と一緒とはいえ、深夜、顔見知りの花子を自らの手で殺害するということは極限の事態であるから、当時乙川には冷静さの一片だになかったはずであり、このような状況下でブラスリップの結び目について記憶しているとは思われない。したがって、仮に前記乙川の供述が一重結びであるとの趣旨であると解しても、これにより乙川の供述全体の信用性が失われるものではない。
(6) 被控訴人らは、助川意見書に基づき、丙沢の自白上、丙沢が1.5メートルの高さから重さ約12.5キログラムのコンクリート敷石を花子に向けて投げつけたとされているが、右自白は、花子の顔面の損傷の程度、態様と矛盾している旨主張する。
経験則上、重さ約12.5キログラムのコンクリート敷石が、1.5メートルの高さから落下し、直接鼻梁部の一点にのみ衝突したとすれば、鼻骨及び鶏冠部骨折という程度の傷害で済むはずのないことはいうまでもないが、高さがより低いため落下エネルギーが当初から少なかったか、落下距離が1.5メートルであったとしても落下エネルギーがまず他の部分に吸収されて比較的小さくなって鼻梁部に衝突した場合には、この程度の傷害で済む可能性は十分にある。夏男が、「私がこの現場を離れる時、山の斜面をゴロゴロところがり落ちる音がしました。」と供述している(甲一九)ことからすると、本件では後者の可能性が高いものである。
死体発見時のコンクリート敷石は、下方角を死体左腕脇の地面の上方に置き、上方角は鼻梁部損傷部分より下へずれて、主たる重量を左腕に載せていたのであるから、コンクリート敷石は、ある角度をもって死体方向に落下し、まず、コンクリート敷石下方角が死体左腕手前の地面に当たり、次いでその反動で上方角付近が鼻梁部に当たり、さらに上方角が僅かに左へずれ、鼻梁部損傷部分より数センチメートル下で左腕、左肩、顔面部に載る状況で停止したものと推測され、コンクリート敷石の落下エネルギーの大半は最初に衝突した地面に吸収され、残ったエネルギーは上方角が鼻梁部に衝突した際に殆ど吸収されたが、それでも僅かに残ったエネルギーが鼻梁部損傷部位より数センチメートルずらしたとみるのが最も自然な見方である。
また、コンクリート敷石が垂直落下であれば、最初の衝突部位であるべき地面にエネルギーの大半は吸収され、残ったエネルギーは極めて微弱となるが、本件では投棄されているから、敷石は放物線を描いて落下し、かつ、敷石自体地面に対し浅い角度で当たっているため、直下型よりも相当エネルギーを残したまま鼻梁部に当たったと思われ、そのため鼻梁部の傷は比較的深いものであり鼻骨及び鶏冠部が骨折し、数本の亀裂が生じている。
助川意見書は、「もしも他に接触部が存在するならば、その面積分だけ作用力は分散するが、本件死体にはそれに相当する損傷部が存在しない。よって……コンクリート敷石が1.5メートルの高さから……投棄したときの損傷と想定することは困難である。」としている。しかし、最初の衝突はコンクリート敷石下方角とみるべきであり、それは明らかに地面に接し得る状態にあるから、コンクリート敷石は、そのエネルギーを地面と鼻梁部にのみ吸収させ、左腕には特別傷を残すほどのぶつかり方はしていないというべきであり、必ずしも助川意見書のようにいうことはできない。本件では、静止しているコンクリート敷石自体の重量は腕部分にもかかっていたため、敷石を取り除いた後の左上肢、左肩には蒼白色の部分が見受けられるが、そこに傷がないのも自然である。
(7) 被控訴人らは、花子の首に巻かれていたブラスリップの中には灰白色の泥土様のものが巻き込まれており、少年らの自白による花子殺害の態様によってはこのようなものをブラスリップの中に巻き込むことは不可能であるから、少年らの自白は右事実に矛盾する旨主張する。
しかし、コンクリート敷石は、前述のとおり1.5メートルの高さから放物線を描くように落下し、まず下方角を地面にぶつけ、その最大の衝撃によってコンクリート敷石に付着していた泥、砂様の物質がこぼれ落ちてブラスリップの結び目を中心に分散し、その後の鼻梁部への弱い衝撃でも同様にこれらの物質がこぼれ落ちるとともに、顔面にコンクリート敷石の重量がかかったことにより花子の顎が引けてブラスリップと首の付け根が閉じられ、そこに落ちていた小塊を挾み込むことになり、あるいはコンクリート敷石自体の重量により徐々に顔面を押しつけて顎を引いた状態となり、数片の小塊をブラスリップと胸鎖関節付近との間にも挾み込んだ可能性も十分考えられる。しかも、花子が投棄された残土置場の花子の頭の下は非常に凹凸の激しい残土であり、投棄されたときから若干顎を引いた状態であったから、顎を引きやすい状態にあったものといえる。
したがって、被控訴人らにおいてブラスリップの中に巻き込まれたと主張する泥土は、その後死体が死体安置室に移された際に死体の顎が上がり、ブラスリップと上胸又は首の付け根付近が離れたことによって、右のように挾み込まれた泥、砂様の物質がこぼれ落ちたものというべきであるから、少年らの自白と矛盾しない。この点は、索条体除去後に花子の頸部に点々と存在していた砂粒についても同様である。
(8) 花子の遺体発見時、シャツがコンクリート敷石の上に載っていたものであって、これは、コンクリート敷石の落下の後にシャツの落下があったことを示すものであり、この点に関する夏男及び丙沢の供述と矛盾するかのごとくである。しかし、夜間に死体を投棄することなどは一四歳の少年にとっては恐怖そのものの行為であり、一秒でも早く現場を立ち去りたい気持ちで死体投棄をしたであろうし、シャツやコンクリート敷石を投げたりする際には相当慌てていたに相違ない。そのような時に冷静でいられるはずはなく、シャツとコンクリート敷石の投擲の順序など混乱するのが当たり前であり、そのような時間的差異をもって供述全体の信用性を欠くとみるのは相当でない。
(9) 被控訴人らは、花子の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れていることなどからして、花子が左靴を脱いだ状態で残土置場内を歩いたと考えざるを得ない旨主張する。
なるほど、花子の左足裏(特に踵、指の股)は、右足裏よりも汚れが著しく、この汚れは、花子が左靴を脱いで歩行したという事実を想像させるものである。しかし、この左足裏の汚れは残土置場を歩いた程度で出来るような軽微な汚れではなく、より長い距離、時間をかけて出来たしつこい汚れとみるべきである。花子は、靴擦れのため家出をしたときから左足の踵と右足親指根元に絆創膏をつけていたが、靴擦れの起きやすい網目模様のハイソックスを履いて長時間歩き回ったため、左足踵部の絆創膏が剥がれて靴擦れが再発し、本件事件前に左靴を脱いでハイソックスのまま歩行したため、左足裏の汚れができたものと考えるべきである。
(10) 被控訴人らは、花子が着用していたシャツとスカート後面が同じような状態で土砂により著しく汚れており(シャツ右側下方には左右径約八センチメートル、上下径約九センチメートルの範囲に特に濃く付着している。)、花子がこれらを着用している際に後面を土砂の地面に押しつけられた可能性が高く、このことは残土置場が犯行現場であること示すものである旨主張する。
しかし、右汚れが、花子が残土置場で襲われ、地面に押しつけられた際に出来たものであるというにしては、汚れが明瞭なものではない上、汚れが襲われたときにできたものであるとすれば、シャツ前面にも淡褐色をした土様の付着物が一〇数か所あることを説明できない。花子は、夏の暑い盛りに家出をして、おそらく風呂にも入らないまま土の上で寝ころんだり野宿したりしたことが考えられるから、シャツとスカート後面の汚れは本件事件以前に付着していたものと考えた方が自然であり、これを残土置場が犯行現場であることの証拠とすることはできない。
3 少年らは、前記三3(四)のとおり本件事件についてアリバイがあるなど犯行を否認する旨の供述をしているが、右供述は、以下のとおり虚偽である。
(一) 新聞配達をしていた三吉勇は、七月一九日午前三時三〇分頃、大曽根の空地を通過した際、自動車二台が右空地に駐車しているのを見ておらず、その頃には少年らが右空地にいなかったことが明らかである。
三吉勇は、同日午前三時頃、窃盗事件があってパトカーで捜索していることを警察官から聞いて、付近を注意しながら配達していたものであって、右空地に自動車二台が駐車していれば当然気付いたはずであるから、三吉勇の供述は信憑性が高いものである。
(二) 少年らが二回目にC方を出た時刻は午前二時一〇分頃である(甲一三〇)。A及び秋男は、C方から大曽根の空地に直行し、五分ないし一〇分で到着した旨供述するのに反し、乙川及び夏男は、C方から大曽根の空地に行く前に公衆電話から金を盗むなどしていたため右空地には午前三時頃到着した旨供述し、更に、丙沢は、C方を出た時刻は午前二時三〇分から四〇分頃であり、右空地には午前三時前に到着した旨供述している。しかし、少年らのアリバイに関する供述が真実であるとすれば、このように相互に矛盾した供述をすることは考え難い。また、夏男及び丙沢は、右空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨供述しているところ、七月一九日の日の出は午前四時三九分であり、通常空が明るくなり始めるのは日の出の三〇分位前であるから、夏男及び丙沢の供述に従えば、少年らが右空地に到着した時刻は午前四時頃ということになり、空地に到着した時刻に関する前記の少年らの供述と矛盾することになる。また、少年らが右空地に到着した時刻が午前四時頃であるとすると、少年らが二回目にC方を出たのは午前二時一〇分頃であるから、少年らが花子を強姦して殺害する時間的余裕は十分あったといい得る。
(三) 丁海冬子は、七月二二日、夏男から、「あの日お前の家から帰った後、八潮中央病院の近くで俺は、甲野を見たよ」という話を聞いている。「あの日お前の家から帰った後」とは、夏男が丁海冬子方を出たのが同月一九日午前〇時二五分頃であるから、本件事件までの少なくとも二時間位の間であると特定できる。これに対し、夏男は、否認に転じてからはそのような話をしたことを否定している。丁海冬子が虚偽の事実を言う必要はないから、夏男の否認供述は虚偽であるといわざるを得ない。
第三 証拠関係
原審及び当審記録中の各書証目録・証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求の原因1及び3記載の事実(当事者及び少年事件の審判等)は、いずれも当事者間に争いがない。
二 控訴人らは、少年らの捜査段階等における自白に基づき、乙川らが本件事件を引き起こした旨主張するのに対し、被控訴人らは、右自白は任意性・信用性を欠く旨及び少年らの浦和家庭裁判所の少年事件の審判、東京高等裁判所の右事件の抗告審における否認供述のとおり、少年らは本件事件と無関係である旨それぞれ主張するので、右自白及び否認の各供述のいずれが信用できるものであるかを判断する。
1 まず、少年らの自白の任意性・信用性について検討するに、少年らが自白をした経過は以下のとおりである。
(一) 草加署は、本件事件につき捜査をしていたところ、七月二三日午前五時一五分頃、八潮市在住の丁海六太から、「同人の娘の丁海冬子から、『夏男が一九日の午前零時頃、花子が八潮中央病院付近を歩いているのを見たと言っていた』旨聞かされた」という趣旨の電話連絡を受けたことから、夏男及び同人と行動を共にしていた乙川、丙沢、B、秋男及びAが本件事件に何らかの関係を有するものと判断し、同人らを任意で取り調べることとした(甲二七、三一、三五、三六、一三五、乙九一、九五)。
(二) 乙川は、七月二三日午後二時三〇分頃ないし午後三時頃、草加署に任意同行され、同署において、花子を殺害したのではないかと追及され、取調べ開始後約三〇分して花子殺害等の事実を認めるに至り、同日午後一〇時四五分頃、丙沢及び夏男が自白して緊急逮捕されるのと時を同じくして緊急逮捕された。
乙川は、その後、八月一三日に観護措置を取られるまで花子殺害等の事実を一貫して認めていたが、同日、観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたま丙沢及び夏男と同室となり、互いに三人だけで本件事件について話し合う機会を持ったが、その際、丙沢及び夏男に対し、今後否認する旨伝えたものの、その日は否認せず、同月一九日に至り、上申書を書いて花子殺害等の事実を否認するに至った(甲四、五、一四、一五、二二、二七、三一、三五、一一九、乙八四、九三)。
(三) 丙沢は、七月二三日午前一〇時頃、草加署に任意同行され、同署において、花子を殺害したのではないかと追及され、同日午後一〇時頃になって花子殺害等の事実を認めるに至り、同日午後一〇時四五分頃、緊急逮捕された。
丙沢は、その後、八月一三日に観護措置を取られるまで花子殺害等の事実を一貫して認めていたが、同日、観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたま乙川及び夏男と同室となり、互いに三人だけで本件事件について話し合う機会を持ったが、その際、乙川から今後否認する旨伝えられたものの、その日は否認せず、同月一九日に至り、上申書を書いて花子殺害等の事実を否認するに至った(甲九の二、一〇、一六ないし一八、二七、三一、三五、一〇五、一二三、乙八五の二、九四)。
(四) 夏男は、七月二三日午前八時頃、草加署に任意同行され、同署において、花子を殺害したのではないかと追及され、同日午後一〇時三〇分頃になって殺害の事実を認めるに至り、同日午後一〇時四五分頃、緊急逮捕された。
夏男は、その後、一貫して花子の殺害の事実等を認めていたが、八月一三日、観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたま乙川及び丙沢と同室となり、互いに三人だけで本件事件について話し合う機会を持ち、その際、乙川から今後否認する旨伝えられた。しかし、夏男は、その日以後も否認せず、家庭裁判所調査官の調査においても本件事件を認め、かつ、同月二六日に浦和家庭裁判所において行われた乙川及び丙沢の各少年審判にいずれも証人として出頭し、乙川、丙沢各本人及びその親の面前で花子殺害の事実等を認める証言をした。なお、丙沢の審判における証言の際には、父である被控訴人丁海五夫及び夏男の姉も同席していた。夏男は、九月六日に浦和家庭裁判所において行われた自己の審判において花子殺害の事実等を否認するに至った(甲六ないし八、一九の一、二、二七、三一、三五、九八、一三三、乙九五)。
(五) Bは、七月二三日、草加署において午前一〇時三〇分頃から午後一〇時三〇分頃まで任意の取調べを受けたが、その際、八潮中央病院の裏で歩いている花子を見つけて二台の車が止まり、乙川と丙沢が降りて無理矢理花子をBが運転するクラウンに乗せて二台で三中裏の田圃道まで連れて行った上、同所で、乙川、丙沢及び夏男の三人が花子を車から降ろして何処かへ連れて行き、車で待っていると三人が駆け足で車に戻ってきたのは知っているが、殺害の事実は知らないので三人に聞いてくれと供述して、暗に仲間の犯行を匂わせたが自分の関与は否定し、その後の取調べにおいても同様の態度を取っていた。そして、八月四日に強姦被疑事件で通常逮捕され、花子の強姦に関与した事実については認めたものの、同女の殺害には関与していないし目撃もしていない旨供述し、その後同月一五日になって始めて上申書において乙川らが殺害の相談をしていたのを聞いた旨供述するに至った(甲四一ないし四五、四七、五三ないし五五、五七、七〇、七一、一二七、一三五)。
(六) Aは、七月二五日、二六日の両日にわたり草加署で取調べを受けたが、同月一九日には花子に会っていない旨本件事件への関与を否定する供述をし、八月三日に強制猥褻被疑事件で通常逮捕され、同月五日に勾留されたものの否認を続け、同月一二日になって始めてマルコーでの強制猥褻の事実及び本件事件への関与を認め、その後八月二六日に浦和家庭裁判所における丙沢の少年審判に証人として出席して本件事件への関与を認める供述をしていたが、九月一二日の同裁判所における自己の少年審判において再度否認するに至った(甲二五、四六、四八ないし五〇、五八、六〇、六一、六三、六五、六七ないし六九、八〇、九八ないし一〇〇、乙九一)。
(七) 秋男は、七月二三日朝、草加署で取調べを受け、同日午後、観護措置決定を受けて少年鑑別所に送致され、八月一三日、浦和家庭裁判所において教護院送致の決定を受けて武蔵野学院に入院した。秋男は、七月二三日の段階では否認していたと推認されるが、八月五日に少年鑑別所において司法警察員による取調べを受け、乙川らが花子を強姦し、乙川、丙沢及び夏男が花子を殺害した旨の供述をした。秋男は、その後、一貫して右趣旨の供述をし、武蔵野学院の職員にも自分が強姦に加わったことや他の者が花子を殺害したことを供述していたが、九月三日頃に父及び姉と面会した直後から、本件事件への関与を否認するようになった(甲五六、七八、九九、一三四、一四九、乙九二、一一八)。
2 被控訴人らは、少年らの右1の自白には任意性がない旨主張するが、以下のとおり、右自白は任意にされたことが認められる。
(一) 少年らは、右1のように本件事件への関与を認めたことについて次のように述べている。
(1) 乙川は、取調べ開始当日に自白をした理由について、自分がやっていないと否認したところ、捜査官から怒鳴られ、更に、他の仲間はみんな正直に言っている、お前達はやったんだなどと言われたため、嘘ではあるが花子殺害の事実を認めた旨供述するが、捜査官から暴行を加えられたなどの事実は述べていない。なお、乙川は、本件事件で取調べを受ける以前に警察で一〇回程取調べを受けた経験があり、草加署にも顔見知りの警察官がいるものであって、当時警察の取調べに対して度胸がついていた旨述べている(乙八四、九三)。
(2) 丙沢は、取調べ開始当日に自白をした理由について、捜査官から、乙川及び夏男がやったと言っている、お前も言ったらどうか、見た人もいるなどと決めつけるような感じで追及されたり怒鳴られたりしたため、本件事件当時シンナーを吸っていたことから、もしかしたらやっているかも知れないという気持ちになり、嘘ではあるが花子殺害の事実を認めた旨供述するが、捜査官から暴行を加えられたなどの事実は述べていない(乙八五の二、九四)。
(3) 夏男は、取調べ開始当日に自白をした理由について、捜査官から、証拠がある、お前の先輩がやっていると言っているなどと言われ、否認しても信じて貰えないので、嘘ではあるが花子殺害の事実を認めた旨供述するが、捜査官から暴行を加えられたなどの事実は述べていない(乙九五)。
(4) Bは、七月二三日の任意取調べの際、捜査官に怒鳴られ、髪の毛を掴まれておでこを机に二、三回叩きつけられ、平手で頬を殴られるなどの暴行を加えられて自白させられた、同月二四日、二五日にも取調べを受けたがこの時は素直に自白をしたので殴られなかった、その後も否認すると殴られると思い否認できなかった旨供述している(乙八九の二、九六)。
(5) Aは、一時自白をするに至った理由について、捜査官から後頭部を手拳で叩かれたり、正座をさせられるなどするため取調べが嫌で、自分がやった旨供述した旨述べている(乙九一)。
(6) 秋男は、自白した理由について、捜査官から、お前だけ一人やってないと言ってもみんな言っているんだからなどと言われ、何かだんだん本当にやったのかもしれないという気持ちになって自白したというのみで、捜査官から暴行等を加えられたことはない旨述べている(乙九二)。
(二) 右(一)の供述内容からすると、捜査官の追及により乙川、丙沢、夏男及び秋男が自白するに至ったことは認められるものの、右追及が同人らの供述の任意性を失わせるほど厳しいものであったとは到底認められず、本件全証拠によるも他に同人らの供述の任意性を失わせる事由があるとは認められない。
B及びAは、自白の理由として捜査官による暴行の事実をあげる。しかし、右暴行の事実を裏付けるに足りる客観的証拠は存在しない。加えて、Bは、七月二三日から二五日までの間の取調べでは、乙川らの犯行を匂わせる供述はしたものの、自身は強姦にも殺人にも関係していない旨の否認の供述をしていたこと(甲一三五)に照らすと、同月二四日、二五日には素直に自白をしたので暴行を加えられなかった旨の前記(一)(4)のBの供述はにわかに信用できないといわざるを得ないのみならず、Bの取調べに当たった捜査官も暴行の事実を否定していること(甲一四一、一四二)からすると、Bにつき暴行が加えられたことを認めることはできない。また、Aは、乙川らと行動を共にしていたとはいうものの、花子の強姦にも殺人にも加わっていなかったものであり、逮捕事実も強制猥褻にすぎず(乙九八)、乙川らの強姦、殺人については参考人的立場にあったということができるから、このような者に暴行が加えられる蓋然性は乏しい上、Aの取調べに当たった捜査官も暴行の事実を否定していること(甲一三八、一三九)からすると、Aについても取調べに当たって暴行が加えられたものと認めることはできない。結局、B及びAの自白について、その任意性を失わせる事情があるとは認められない。
3 少年らの自白は、後述する花子を強姦した態様等を除いて、以下のとおり、大筋において信用性が高いというべきである。
(一) 前記1、2のとおり、少年らのうち、花子を強姦した上殺害した実行犯である乙川、丙沢及び夏男が、草加署において任意の取調べを受け、取調べ開始後僅かな時間で花子殺害という重大な犯罪事実を任意に自白していること、Bも既に七月二三日の取調べの時から乙川らの犯行を匂わせる供述をしていること、夏男は、八月一三日に観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたま乙川及び丙沢と同室となり、互いに三人だけで本件事件について話し合う機会を持ち、その際、乙川から今後否定する旨伝えられたが、その後、少年鑑別所に入所して警察等での取調べを受ける可能性がなくなった後の同月二六日、乙川及び丙沢の少年審判において花子の殺害等を認める証言をしており、ことに丙沢の少年審判においては、丙沢の父親のみならず夏男の父親及び姉が同席している場で右のような証言をしていること、同様にA及びBも丙沢の少年審判の際、丙沢が花子を強姦し殺害した旨の証言をしていること、秋男は、教護院送致の決定を受けて武蔵野学院に入院したが、入院直後の調査の段階で花子を強姦した事実を認め、殺害については他の者がやった旨供述した外、その後の八月二八日、草刈り中の雑談という虚偽の事実をいう必要性の全くない状況の中で、同学院の塚田昇寮長に対し、自分は強姦はしたが殺人はしていない、殺人は他の者がした旨述べていること(秋男は、否認に転じた後においても、「当時自分はやったと思っていたから、塚田先生に強姦はやったと話したかも知れない。」旨供述している。乙九二)、以上の事実によれば、少年らが、花子殺害という重大な犯罪事実について、六人も揃って任意に虚偽の自白をするとは考え難いから、特段の事情がない限り、乙川らの自白は真実を述べたものと認めるのが相当である。
(二) 乙川らが自白をした理由としてあげているのは、「自分がやっていないと否認したところ、捜査官から怒鳴られ、更に他の仲間はみんな正直に言っている、お前たちはやったんだなどと言われた」こと(乙川)、「捜査官から、乙川及び夏男がやったと言っている、お前も言ったらどうか、見た人もいるなどと決めつけるような感じで追及されたり怒鳴られたりしたため、本件事件当時シンナーを吸っていたことから、もしかしたらやっているかも知れないという気持ちになった」こと(丙沢)、「捜査官から、証拠がある、お前の先輩がやっていると言っているなどと言われ、否認しても信じて貰えない」こと(夏男)、「捜査官から、お前だけ一人やってないと言ってもみんな言っているんだからなどと言われ、何かだんだん本当にやったのかもしれないという気持ちになった」こと(秋男)などであって、これらの事由は、花子の強姦及び殺害という重大な犯罪事実につき虚偽の自白をする理由としては薄弱であると考えられる。のみならず、乙川らは、前記のとおり、八月一三日に観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたま乙川、丙沢及び夏男が同室となり、互いに三人だけで本件事件について話し合う機会を持ち、乙川が他の二人に今後否認する旨伝えたが、右事実からすると、その際、三人の間で本件事件を否認することについて何らかの話合いがされたものと推認することができ、また、秋男は、八月二七日か二八日頃、武蔵野学院において、塚田昇寮長に対し、「先生いま人を殺したら弁償はいくらぐらい支払うんだろう。」と尋ねたところ、塚田昇寮長から「交通事故で三〇〇〇万円位だよ。相手がいくら要求するかわからんぞ。」と言われ、「父ちゃん大変だな。」と真剣な顔で話していたことが認められ(甲七八、一三四)、前記のようにその後九月三日頃に父及び姉と面会した直後から否認に転じているが、秋男のみならず乙川らも、本件事件の事案の性格上から、あるいは親との面接等を通じて、単に自分らが少年院に送致されるだけでなく、親が花子の遺族から多額の損害賠償請求を受け、又は社会的に非難される可能性があることに思い至ったものと推認することができるところ、これらの諸点を考慮すると、自白が虚偽であるとの乙川らの供述は直ちに信用することはできない。
(三) 少年らの自白の内容には、以下のとおり、いわゆる秘密の暴露といい得る内容や犯行中に実感したとしか思えない事実についての供述が存在しており、信用性が高いと認められる。
(1) コンドームに関する少年らの自白はいわゆる秘密の暴露に当たるものである。少年らは、花子を強姦した際に夏男と秋男とが二個ずつ所持していたコンドームを使用したこと、そのコンドームは同人らが七月一〇日から一五日までの間に車上荒しにより窃取した六個のうちの残りであること、コンドームの種類は四個ともまちまちであったこと及び花子が汚く思えたなどの理由からコンドームを使用して強姦することとし、そのため強姦の実行者が四人になったことを自白し、これに基づき裏付け捜査がされた結果、右自白に沿うコンドームの窃取の事実が判明したものであり(甲八、一〇八ないし一一一、一三三)、少年らのコンドームに関する自白は秘密の暴露に当たる。
(2) Aは、八月一二日に自白をした後、同月一九日、捜査官に対し、事件を報道した番組を録画したビデオテープを所持している旨告げた。これにより、右ビデオテープが領置されている(甲五二、六二)。Aは、自分の自白を信用してもらうために右ビデオテープの存在を供述したものであり、右供述はいわゆる秘密の暴露に匹敵する供述といえる。
(3) 乙川の、丙沢に最初に強姦させた理由に関する、「私は甲っちょとおまんこできるわくわくした気持ちと失敗したらどうしようという気持ちもあり初めに丙沢に一発やらせてから自分がやる方がいいと思った。」旨の供述(甲一四)、花子を殺害後、東高校裏の路上から残土置場まで花子を運んだことに関する、「運ぶのは大変だと思ったが、甲っちょを(車に)乗せたり降ろしたりするよりそのまま三人で運んだ方が早いと思った。」旨の供述(甲五)、丙沢の、「下着の上から甲野のオッパイを両手で触ったところ、オッパイはコンニャクのようなプルンプルンと言うような感触でこの時俺は少し興奮した。」旨の供述(甲九の二)、夏男の、「花子殺害現場付近において自動車のライトに驚いて逃げ出した」旨及び「花子殺害時にその大腿部を押さえていると、全身痙攣が起こり、そのまま押さえつけていると痙攣がおさまり、今度はピクッピクッと二、三回動いた」旨の各供述(甲一九の一)並びにBの、「強姦をする者を決めるのにじゃんけんをすると言われた際、俺がじゃんけんに弱いのを知っていて他の者がじゃんけんをしようと言ってきたと思った」旨の供述(甲七一)などは、いずれも犯行中に実感したとしか思えない事実についての供述と見ることができ、これらの供述を含む少年らの自白は信用性が高いというべきである。
(四) 少年らの最終的な自白の内容は大筋において次のとおりであるところ、右自白は、後記4のとおり細部については別として大筋において客観的証拠に矛盾するところはなく、信用性が高いものである。
(1) 乙川、秋男及び丙沢がブルーバードに、B、夏男及びAがクラウンに分乗し、ブルーバードを先頭にして走行するうち、七月一九日午前二時頃、八潮市内の八潮中央病院前を通り掛かったところ、同病院横の砂利道から顔見知りの花子が出てくるのを見つけ、丙沢と夏男が同女をブルーバードの後部座席に押し込んだ。
(2) 少年らは、同所から自動車二台を連ねてマルコーの駐車場に赴き、同所で停車したところ、花子がトイレに行く旨口実を設けて逃げ出したため、乙川、丙沢及び夏男が花子を追い掛けて捕まえ、同女をクラウンの後部座席に押し込み、右自動車内でA、夏男、乙川及び丙沢がシャツ、スカートを脱がせて花子の乳房を触るなどした。
(3) さらに、同所において、Aを除く他の五名の少年らが花子を強姦することを共謀し、花子をクラウンに乗せた上、Aも含めて少年ら全員が自動車二台に分乗して北公園に赴いた。Aを除く他の五名の少年らは、同所において、相談の上、花子が汚いなどの理由で夏男及び秋男が二個ずつ所持していたコンドームを使用して強姦すること、コンドームが四個なので強姦する者は四人とすること、夏男及び秋男はコンドームを持っていたので無条件で強姦に加わることができることとし、他の三人がジャンケンをして強姦をする者を決めることを決定し、ジャンケンをした結果乙川と丙沢が強姦をすることとなった。乙川、丙沢、夏男及び秋男は、同所において、手拳でその頭部を殴るなどして反抗を抑圧し、花子のブラスリップとパンティを脱がせ、全裸にし、丙沢、乙川、夏男及び秋男の順に花子を姦淫するなどした。
(4) 乙川、丙沢及び夏男は、花子を強姦した後、同女が警察に話すというのを聞き、強姦の事実が警察に発覚すれば少年院に入れられるのは確実であるなどと思って怖くなり、北公園において相談の上、花子を殺害することとし、再びブラスリップ、パンティ、シャツ及びスカートを着用した花子を自動車に乗せて東高校裏の道路に連行し、同所において、同女を自動車から下ろし、丙沢が同女のシャツ及びブラスリップを脱がせた上、丙沢からブラスリップを受け取った乙川において、その両端を左右の手で持ち、花子の後方からこれを同女の首に巻き付けて力一杯引っ張り、更に、花子が後ろに倒れかかったところを、乙川からブラスリップの片端を渡された丙沢が乙川と共に力一杯引っ張って花子の首を絞めつけ、その間夏男が花子の足を押さえるなどして同女を殺害し、乙川、丙沢及び夏男の三人で、花子の遺体をその場から残土置場に運んで投棄した。
(5) 少年らは、その後直ちに自動車二台に分乗して大曽根の空地に赴いたが、同所に着いた時刻は午前四時か四時半頃(夜が少し明けかかってきた頃)であった。
(甲四、五、八、九の二、一〇、一四ないし一八、一九の一、二、五六、五七、六〇、六一、六八ないし七一、九八、一〇五、一三三、乙一一八)
(五) 少年らは、否認に転じて後も、以下のとおり、思わず右(四)の自白に沿う供述をしており、右自白の信用性が高いことを窺わせている。
(1) 乙川は、浦和家庭裁判所における九月六日の少年審判期日において、付添人の「ブラスリップというのは分かりますか。」という質問に対し、「初めなんか紐を探したけどなくて、丙沢がシャツとブラスリップを自分に渡したからです。」、「車のトランクの中に紐を見たことがあって、それでトランクの中に紐があると思っていた。」と答えており(甲二二)、思わず自己が実際に体験したとしか思えない供述をした。
(2) 夏男及び丙沢は、本件事件のあった七月一九日は、午前三時頃から大曽根の空地に自動車二台を止めて休んでいたものであって、本件事件についてはアリバイが存在する旨供述している。ところが、夏男及び丙沢は、前記東京高等裁判所における抗告審の審理において、大曽根の空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨供述しており(乙九四、九五)、これは、七月一九日の日の出が午前四時三九分であり、通常空が明るくなり始めるのは日の出の三〇分ないし五〇分位前であるから(弁論の全趣旨)、右供述に従えば、少年らが右空地に到着した時刻は午前四時頃ということになることを考慮すると、右供述は前記自白に沿うものであり、思わず夏男及び丙沢が自己の実際に体験した事実を述べたものと認めることができる。
4 被控訴人らは、本件事件が少年ら以外の第三者の犯行によることを窺わせる証拠が存在するのみならず、少年らの自白は著しく変遷を重ね、かつ、客観的事実と矛盾、抵触する部分が多く信用できない上、豊富な物証が押収されているにもかかわらず、本件事件と少年らとを結びつける客観的証拠が発見されていない点で不自然であり、本件は冤罪である旨主張するので、この点について判断する。
(一) 被控訴人らは、(1)花子が着用していたスカートの後面裏側の六か所に血液型がAB型の精液が付着しており、精子の存在も確認されていること、(2)花子の両乳房にはAB型と判定された唾液が付着していたこと、(3)花子が着用していたシャツ後面にはAB型の毛髪が付着していたことを考慮すると、本件事件は、乙川ら以外の血液型がAB型の第三者の関与による犯行であると考えるのが自然である旨主張する。
確かに、花子及び少年らの血液型は、花子がA型の非分泌型、乙川がO型の非分泌型、BがO型の分泌型、丙沢、夏男、秋男及びAがB型の分泌型であるところ、花子の遺体発見当時着用していたスカートの後面裏側の六か所にAB型の精液が付着していたこと、草加署の司法警察員及川吉治が、七月一九日午後五時四五分頃から午後六時五五分頃までの間、同署死体安置室において、残土置場から搬送された花子の遺体を実況見分した際、補助者をして、花子の遺体の左右乳房部から脱脂綿で付着物を拭き取って採取させて鑑定に付したところ、唾液の存在が確認され、かつ付着物の血液型がAB型と判定されたこと、更に右実況見分の際、花子のシャツの裏側衿の下方約一五センチメートルのところに長さ約19.9センチメートルの毛髪が付着しており、鑑定の結果その血液型がAB型と判定されたことが認められるのであって(乙八の一、二、九の一、二、一三ないし一八、二〇、二三、六一、六七の一ないし四、六八の一ないし五、六九の一ないし五、七〇の一ないし五、七一の一ないし五)、右事実によると、本件事件が血液型がAB型の第三者によって引き起こされたものではないかとの疑問がないではない。
しかし、以下のとおり、右各事実は本件事件が血液型がAB型の第三者によって引き起こされたことのみを推認させるものではなく、少年らの自白と矛盾、抵触するものでもない。
(1) 花子が本件事件当時身に着けていた衣類の中で精液の付着が認められたのは、前記スカートのみであり、パンティ、ブラスリップ等それ以外の物に精液の付着があることは認められていない(弁論の全趣旨)。また、後記(三)(2)のとおり、花子の体内及び体表にも精液又は精子の存在は認められない。一般的に見て、強姦の際、被害者が着用していたスカートのみに加害者の精液が付着し、被害者の体内及び体表や被害者が着用していた下着に精液が付着していないというのは不自然である。
花子は、小学校六年生頃から放浪癖があって度々家出をするようになったことなどが原因で一時埼玉学園(教護院)に入園するなどしていたものであるが、中学生になってから異常に男性に興味を持つようになって、男性が運転する通りすがりの自動車に同乗したりするようになり、埼玉学園に入園中の四月一日頃、同学園を逃げ出したところ大宮市内の男性のアパートに連れ込まれるなどしたことがあり、本件事件の直前にも両親に無断で夜遅くまで外出するなどしていたものであって、その素行は必ずしも芳しいものではなかったことが認められ(甲八六ないし八九)、右事実を合わせ考慮すると、花子のスカートに付着していた血液型がAB型の精液は、本件事件とは別の機会に付着したものと推認することも可能である。したがって、これが、本件事件が少年らとは別の第三者によって引き起こされた証拠でもあるとも、少年らの自白と矛盾するとも認められない。
(2) 花子の両乳房から採取された付着物中に唾液の存在が確認され、かつ、付着物の血液型がAB型と判定されたことは前記のとおりであるが、血液型A型の花子の体垢(細胞片)が血液型がB型の犯人の唾液と混合したため血液型がAB型であると判定された可能性があり、必ずしも少年らの自白と矛盾、抵触するものではない。
体垢の多い人間の体表面の付着物を脱脂綿で拭き取って採取する場合には、右脱脂綿に体垢(細胞片)が付着する可能性が存するところ、花子は、死亡前の七月一六日夜に入浴して以来本件事件により死亡するまで入浴していなかったのみならず、花子の遺体の解剖時、その前胸部の微褐色ないし淡褐色の部分は比較的容易に表皮が剥離し蒼白の真皮を露出する状態であり、かつ、花子の両乳房から脱脂綿で付着物を採取したところ、鑑定時においては、花子の体表面の汚れが付着して右脱脂綿が一部灰黒色を呈していたことが認められ(乙一〇、二〇、六三)、右事実によると、右脱脂綿には花子の体垢(細胞片)が付着していた可能性が高いと認められる。
ABO式の血液型は、抗A血清に対し凝集反応を示した場合にA型、抗B血清に対し凝集反応を示した場合にB型、両血清に対しいずれも凝集反応を示さなかった場合にO型、両血清に対しいずれも凝集反応を示した場合にAB型と判定されるものであるから、A型及びB型の血液又は細胞片が混在している場合には両血清に対しいずれも凝集反応を示すこととなり、血液型はAB型と判定されることになる。したがって、判定の対象物中に他の血液型の細胞片が混在していることが予想される場合には、血液型の判定に当たって、顕微鏡検査等により細胞片の混在の有無等を確認することが必要とされるが、本件では、右確認はされていない。ところで、花子の両乳房から採取した付着物を吸着試験法により試験したところ、右付着物は、抗A血清に対し一倍希釈の場合には反応を示すが二倍希釈の場合には反応がないのに反し、抗B血清に対しては八倍希釈の段階まで反応を示しており、右付着物中にはB型物質が多く含まれていることが明らかとなった。また、血液型が非分泌型でA型の者三名につき、二日間入浴を禁じた後、その臀部、乳房部等を水で適度に湿らせた脱脂綿で拭き取って採取した付着物について、吸着試験法により試験したところ、抗A血清に対する反応は、花子の両乳房から採取した付着物の抗A血清に対する反応に極めて近似する結果を示すものが存在した。右各試験結果からすると、花子の両乳房から採取した付着物に花子の体垢(細胞片)が混在していた結果、右付着物の試験の際、花子の体垢(細胞片)に由来して抗A血清に対する反応が出現した可能性があることを否定できないというべきである(なお、被控訴人らは、右の体垢実験は、単に体垢そのものから血液型が検出されるかどうかを実験したものであり、これを唾液と混合した場合どの程度の混合でいかなる反応を示すかを実験したものではないから、花子の両乳房から採取した付着物に花子の体垢(細胞片)が混在していたことの科学的根拠たりうるものではない旨主張するが、体垢に由来して抗A血清に対する反応が示されるとすれば、これがB型物質を含む唾液と混合したことにより抗A血清に対する反応が阻害されるに至るとする根拠はないから、右主張は採用し得ない。乙九の一、二、一〇ないし一三、原審証人田島敏彰)。
丙沢及び夏男は、花子を強姦した際、その乳房をなめたり吸ったりした旨供述しているところ(甲九の二、一九の一)、丙沢及び夏男の血液型は、前記のとおりいずれもB型の分泌型であるから、花子の両乳房から採取した付着物の血液型を検査した際、血液型がA型の花子の体垢(細胞片)と丙沢及び夏男のB型の分泌型の唾液が混合してA型及びB型の血清に対しいずれも凝集反応を示し、AB型の試験結果を示した可能性が否定できない。
以上の次第で、花子の両乳房から採取された付着物が血液型がAB型の唾液であると判定されたことは、少年らの自白と矛盾するものとは認められない。
(3) 花子のシャツの裏側衿の下方約一五センチメートルのところに長さ約19.9センチメートルの血液型がAB型の毛髪が付着していたことは、これが、自然脱落毛であって、しかも男性のものであるか女性のものであるか不明であり、それ自体で本件事件との結びつきを推認させるようなものではない上(むしろ、女性のものと考えた方が矛盾が少ないという。乙一四ないし一七、一一二、原審証人田島敏彰)、本件事件と関係ない機会にこのような毛髪が付着することも考え得ることを考慮すると、これも、本件事件が少年ら以外の第三者が引き起こしたことの証拠であるとか、少年らの自白の信用性を疑わしめるものであるとすることはできない。
(二) 被控訴人らは、少年らの供述内容は、捜査官が当初から確知していた残土置場に死体を遺棄したという点及びブラスリップを使用して花子を絞殺したとの点を除いて、強姦の未遂・既遂、強姦場所、殺害場所、殺害態様及び共犯者等の事件の骨格部分について著しい変遷を示しており、少年らの自白は、捜査官の誘導、操作及びこれらに対する少年らの迎合によって作り上げられたものであると主張する。しかし、右主張は、以下のとおり採用できない。
(1) 被控訴人らは、七月末頃、柳田鑑定人から、捜査官に対し、「被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が遠くに見える。」旨の精液の存在を認めるかのような情報が伝えられた後の八月二日ないし三日になって、突如、しかも乙川ら全員がコンドーム着用による姦淫既遂の供述をし、更に、同月七日ないし一〇日になると後背位による性交ないし肛門性交、口淫等の供述が現れている点からして、捜査官が右情報に沿う形で少年らを誘導して自白をさせた旨主張する。
柳田鑑定人から、七月末頃、捜査官に対し、「被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が遠くに見える。」旨口頭で伝えられたことは確かに認められる(乙八二)。しかし、花子の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が存在するとする情報に基づいて少年らを誘導し、供述させるとすれば、膣、口腔及び肛門に射精がされたことを供述させるのが自然であるところ、乙川ら全員がコンドーム着用による姦淫の供述をしているのであって(なお、秋男のコンドーム着用の有無は不明であるが、射精はしていないという。また、丙沢は、その後肛門性交や口淫の事実を供述しているが、この点は後述する。甲九の二、一五、一九の一、乙一一八)、右情報に従って誘導されたとは到底認め難い。被控訴人らは、捜査官が、柳田鑑定人の「精液が遠くに見える。」との表現を聞き、精液の反応はあるもののこれが十分とはいえないと理解し、コンドーム装着による姦淫の事実を創作した旨指摘するが、コンドーム装着による姦淫によっては花子の体内に精液が入る可能性は乏しく、捜査官がこのような理由により少年らを誘導し、虚偽の自白を引き出したとは認め難い。また、前記のとおり、乙川らが花子を強姦するについてコンドームを使用したことは、捜査官には知り得なかった事実であり、夏男の自白をきっかけとしてその裏付けを取ったものであるから、これを捜査官が誘導したと見ることは困難である。
なお、丙沢は、当初、コンドームを装着して花子を姦淫しようとしたが陰茎を膣に挿入することができず未遂に終わった旨供述していたところ、八月一〇日になって、突然、コンドームを使用しないで肛門性交や口淫をし、射精をした旨供述するに至った(甲九の二、一〇、一六、一七)。しかし、丙沢の右供述は、花子が汚いなどの理由で夏男及び秋男が所持していたコンドームを使用して姦淫することとし、そのため実行者が四人に絞られたなど従前の供述全体の流れに反する上、後記(三)(2)のとおり花子の体内には精液又は精子が存在せず、丙沢が自白するように肛門性交や口淫によって肛門及び口腔に射精したとの事実を認め難いこと及び丙沢が年少の少年であることを考慮すると、客観的に肛門性交や口淫の事実が存したとは極めて疑わしいから、丙沢の右供述が文字どおりの肛門性交や口淫を意味するものとすれば、右供述は、花子の死体解剖時にその肛門が開大していたという誤った情報を得ていた捜査官によって丙沢が誘導されたことにより作出された可能性が高く(乙一九、二〇、二三)、たやすく信用し難いというべきである(なお、仮に丙沢の自白のうち右部分が信用できないからといって、他の自白全部が信用できないというものでないことはいうまでもない。)。
(2) 被控訴人らは、乙川らの自白は強姦及び殺害の各現場について変遷を繰り返している旨指摘し、これは乙川らの自白が捜査官の誘導に基づいてされた信用性のないものであることの証左である旨主張する。
確かに、乙川らの自白が強姦及び殺害の各現場について変遷を繰り返していることは事実であるが、乙川らが、当初、花子を残土置場において強姦した上殺害した旨供述したのは、乙川らが、花子を残土置場に投棄する際、同所において他の何者かによって強姦された上殺害されたように見せようと相談したことに基づいたものであって、捜査官の誘導等によったものとは認められない(甲一五、一七、一九の一)。
また、その後も乙川らの強姦及び殺害の各現場についての供述は変遷をしているが、これは、残土置場においては強姦や殺人が行われたことを窺わせる争った跡等の痕跡がなかったことから、捜査官から犯行現場は別の場所ではないかと追及されたため、供述を変更せざるを得なくなった乙川らが、真実の殺害現場を自白することは、殺害の状況を生々しく思い出させるものであって年少の少年にとっては恐ろしいものと感じられたことや、強姦・殺人という大罪を犯してしまい、どうせ少年院に行くならでたらめの供述をしておいた方が良いと考えたことなどの少年ら各自の感情・思惑から虚偽の供述をしていたためであると認められ(甲四、九の二、九八、乙五〇)、そこに捜査官の誘導があったとまでは認められない。そして、乙川らは、詳細な自供をして北公園における強姦及び東高校裏の路上における殺人を自白してからは、一貫してその供述を維持していたものであり、右自白が信用性に欠けるものとは認められない。
(3) 被控訴人らは、乙川らの自白が、殺害態様、共犯者等の事件の骨格部分で変遷している上、花子の死体の顔面にコンクリートの敷石が立てかけられていたことなど捜査官に未解明な事実については曖昧な供述がされているにすぎない点からして、これらの自白が捜査官の誘導による虚偽の内容ものであることが明らかである旨主張する。
しかし、本件事件は、多少の明かりはあるとはいえ、深夜暗闇の中で敢行された事件であり、少年らはいずれも一三歳ないし一五歳の年少者であるのみならず、これが強姦及び殺人という重大事件であることを考慮すると、少年らは、当時、緊張と興奮の極みにあったと推認され、少年らが犯行の一部始終を冷静に記憶していたとは考え難く、少年らの見誤り、記憶違いなどから、供述に矛盾が生じたり変遷したりすることは十分にあり得るところであって、一部に曖昧な供述部分があったり、供述が変遷していたからといって、直ちにその供述が捜査官の誘導による信用性のないものであるとすることはできない。かえって、乙川、丙沢及び夏男は、取調べを受けた当初は花子殺害の実行の共犯者として当夜行動を共にしていたC、A、Bを挙げるなどの供述をしていたが、乙川、丙沢及び夏男が共犯者に含まれることは一貫して認めていたものであり(甲二七、三一、三五、三八)、また、八潮市内を自動車二台に分乗して走行するうち、花子を見つけて自動車に乗せ、他の場所に連行して強姦した上、ブラスリップを用いて絞殺したという大筋の事実は取調べの当初から終始一貫して認めていたことを考慮すると、その自白は信用性が高いと認められる。
(三) 被控訴人らは、少年らの自白内容が客観的証拠ないし事実と積極的に矛盾抵触する部分が多数存する旨主張するので検討する。
(1) 被控訴人らは、乙川、夏男、秋男は、強姦既遂の供述をしているところ、花子の死体解剖時においてその処女膜は健存しており、同女が生前に性交をした経験はないから、右供述は客観的証拠ないし事実と積極的に矛盾する旨主張する。しかし、処女膜が健存しているからといって花子が生前に性交をした経験がないと断定することはできないものであり(当審証人長江大)、花子の処女膜が健存している事実と乙川、夏男及び秋男の強姦既遂の供述とは必ずしも矛盾するとはいえないが、これを暫く措き、仮に同女が生前に性交をした経験がなかったとしても、乙川、夏男及び秋男の右供述が虚偽のものであり信用性がないとはいえない。すなわち、乙川、夏男及び秋男は、強姦の点について、「コンドームをつけ膣に陰茎を五、六回挿入し射精した。」(乙川)、「コンドームをつけ膣に陰茎を挿入しようとしたが一センチメートル位入っただけで射精していない。」(夏男)、「花子を四ツンばいにさせ、後から花子の尻を抱くようにして姦淫した」(秋男)旨供述しているが、同人らは、いずれも一三歳ないし一五歳であって、夏男に三回、秋男一、二回の性経験があるのみで乙川及び丙沢は今まで性交をした経験がない上、本件事件は深夜暗闇の中で、極度の興奮状態の下で行われたものであるのみならず、乙川と夏男についてはコンドームを装着して姦淫行為に及んだものであるから、自己の陰茎が膣に挿入されたか否かを正確に判断できたとはいい難い面があり、未遂であるにもかかわらず既遂と誤信した可能性もあるのであって、乙川、夏男及び秋男が強姦既遂の供述をしたからといって、この供述が直ちに信用性を欠くものであるとは言えない(甲四、九の二、一五、一七、一九の一、五六、七八)。
(2) 被控訴人らは、丙沢の肛門性交及び口淫の供述並びに秋男の「花子を四ツンばいにさせ、後から花子の尻を抱くようにして姦淫した」旨の供述は、信用できない旨主張する。
柳田鑑定は、花子の膣、直腸、気道、胃の各内容物についての酸性フォスファターゼ試験の結果は、そのいずれもが弱いないし極めて弱い陽性を示したとし、右各内容物に極めて少量の精液が存在したと鑑定している(乙二〇)。しかし、乙川らは、丙沢のみが口腔と肛門に射精をし、膣には誰も射精をしていない旨供述しており、乙川らの供述に従えば、花子の膣の内容物には精液が含まれず、直腸、気道、胃の各内容物については精液が含まれることになるはずであるのに、右鑑定結果では両者の試験結果が同じになっているのであって、右鑑定結果は乙川らの自白に符合しないのみならず、酸性フォスファターゼ試験の精液に対する呈色反応は、濃青色を示すはずであるのに、本件では、膣、直腸、気道、胃の各内容物全部について、いずれも濃青色ではなく淡紫青色ないし微紫青色を呈しており、これが陽性の反応であるとしても、酸性フォスファターゼ試験につき淡紫青色ないし微紫青色を呈する可能性のある膣液、糞便等のヒト体液に由来する反応と区別がつかない上、精子の存在が確認できなかった点で、これを精液に由来する反応と見ることは相当でなく、むしろ花子の体内には精液が存在しなかったと判断することができる(船尾意見書、内藤意見書、内藤証言)。
そうすると、丙沢の肛門及び口腔に射精した旨の肛門性交及び口淫の供述は、花子の体内に精液が存在しなかったという客観的事実と矛盾することとなるが、右供述は、前記のとおり捜査官の誤導により作出された可能性が高いと認められるから、この点についての被控訴人らの主張は理由がある(しかし、これが丙沢の自白すべてを信用できないとする根拠とできないことは前述した。なお、丙沢は、右供述をする以前は、花子の姦淫に関し「コンドームをつけ、膣に陰茎を挿入しようとしたが、なかなか入らないのでやめた」旨の供述をしていたものであり(甲九の二)、右供述は、他の証拠と整合しており、信用すべきであると認められる。)。
しかし、秋男の供述は、正確には「花子を四ツンばいにさせ、後ろから花子の尻を抱くようにしてオマンコをしたのです。これは俺達の間でバックスタイルと言って犬がやるような恰好でやるわけです。」というものであって、肛門性交をしたという趣旨には読み取れないし、また、射精自体はしなかったというのであるから(乙一一八)、右供述は客観的状況とも符合しており信用できないものではないと認められる。
(四) 被控訴人らは、乙川及び丙沢の花子殺害に関する自白が、「両名がブラスリップの両端を持って二、三分もの長い時間、思い切り引っ張った。」というものであるところ、実際には頸部の絞締力が弱かったため東高校裏の路上ではなく遺体が投棄されていた残土置場で死亡したという事実と矛盾する旨主張し、助川意見書によると、花子の死亡の経過自体は右主張事実のとおりであると認められる。しかし、花子の頸部を絞めた道具はブラスリップという柔軟な素材の物であるから、乙川及び丙沢がその両端を持って二、三分間、思い切り引っ張ったとしても、さほど頸部に強い絞締力が作用せず、その結果、東高校裏の路上では仮死状態になったのみで死亡せず、残土置場に運ばれ投棄された後、同所で死亡したものであり、乙川及び丙沢は花子が仮死状態になったのを見て同女が同所で死亡したと思い込んだという可能性も考えられるのであって、乙川及び丙沢の右自白が客観的事実に反し、信用できないものであるとは認められない。
(五) 被控訴人らは、花子の頸部に巻かれていたブラスリップの結び方が特殊であって、乙川らの供述、犯行の再現内容と一致しない上、真犯人であれば当然説明し得るはずのこのような特異な結び方をした動機についても、乙川らは供述をしていない旨主張する。
遺体発見当時、花子の頸部に巻かれていたブラスリップは、前頸部でこま結び(二重結び)にされていたのであるが、乙川が犯行を再現した際には、ブラスリップを前頸部で一重結びにし、かつ、捜査官に対しても前頸部で一重結びにした旨供述していたのであり、右犯行再現状況及び供述は客観的事実と異なっていたことが認められる(甲一五、乙二三、二五、二六)。しかし、乙川は、本件事件当時未だ一五歳の年少者であり、殺人という重大犯罪を犯して極度に興奮し、緊張していたことが窺われるのであって、いわば、無我夢中のうちにブラスリップを前頸部でこま結びにしたものと推認され、後日、これを正確に再現できなかったからといって、その自白全部が信用できないとすることはできず、所論は採用できない。なお、捜査官としては、遺体の実況見分により、右ブラスリップの結び目の状況を知悉していたと推認されるから、これと反する自白調書が作成されていることは、捜査官による誘導がなかったことの一つの証左ともいい得るものである。
(六) 被控訴人らは、乙川らの自白によれば、仰向けにして運び、放置したとされる花子の死体の死斑が背部の外に前胸部、頬部にも発現していて、右自白と矛盾する旨主張する。甲第一五二号証、乙第一九、二〇号証、第二三、第二四号証、第二九号証、第三一号証の一ないし四及び柳田鑑定によると、七月一九日午後五時四五分から午後六時五五分までの間草加署の死体安置室で行われた死体の実況見分の際、花子の背部、腰背部、臀部、大腿後側部、前胸部に暗紫赤色の死斑が中等度に発現しており、指圧により僅かに消褪する状況であったこと、しかし、顔面部には死斑が発現していた形跡はないこと、その後、同日午後九時二〇分から二〇日午前〇時四五分までの間行われた花子の死体解剖の際には、花子の死体は、全身が一般に蒼白ないし微褐色で、体の背面一般、上胸部、前胸部左側、左側胸部及び右頬部に微紫赤色の死斑が弱く発現し、指圧によっては殆ど消褪しない状況であったことが認められる。ところで、甲第一五二号証、乙第二四号証によると、死体発見当時、花子は逆海老型で、かつ、左肩をやや下にして仰向けに倒れていたことが認められ、右事実によると花子の死体の上胸部、前胸部左側及び左側胸部は、いずれも体の下部方向に位置する状況で放置されていたことになるから、これらの部位に死斑が発現したことは必ずしも不自然ではなく、また、右死体の実況見分時には存在しなかった右頬部の死斑がその後の死体解剖時に発現していたことからすると、右頬部の死斑は、右死体の実況見分後の死体の安置中に発現した可能性があるから(甲第二〇号証によると、死体解剖時、項部の死後硬直は弱かったと認められる。)、右各死斑の存在は、花子の死体が殺害後、残土置場で発見されるまでに動かされたことを示すものとはいえない。さらに、乙第二四号証、第二九号証及び内藤証言によれば、花子の死体が残土置場において動かされた形跡はないと認められるから、花子の死斑の状況と乙川らの自白とが矛盾するとはいえず、所論は採用できない。
(七) 被控訴人らは、花子の首に巻かれていたブラスリップの中には灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたが、少年らの自白による殺害態様によってはこのようなものをブラスリップの中に巻き込むことは不可能であり、自白は信用できない旨主張する。しかし、右灰白色の泥土様のものは、花子の死体の発見時にその顔面から左肩等にかけて載っていたコンクリート敷石に付着していた土砂等であり、これがブラスリップ上に落下していたところ、花子の死体見分に伴いブラスリップが取り外された際に、花子の頸部に落下して付着した可能性があると認められ、花子がブラスリップで絞殺された際に右土砂等が巻き込まれたものとは必ずしもいえない(乙二三ないし二五、三一の一ないし四、三二の一ないし九)。内藤意見書及び内藤証言は、実況見分調書(乙二三)等の写真に基づく推論を主とするものであって、右認定に反する部分は、右各証拠に照らすと採用することができず、所論は理由がない。
(八) 被控訴人らは、花子の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れていたこと、花子の右靴が死体の足元の直近から、左靴が右靴よりも残土置場入口に近い同所中央部からそれぞれ発見されたことからすれば、花子が左靴を脱いだ状態で残土置場内を歩いたと考えざるを得ない旨主張する。そして、七月一九日に行われた花子の遺体の実況見分調書(乙二三、二五、三二の一〇、一一)によると、花子の左足裏(特に踵部と親指付近)及び右足の親指付近に土様のものが付着しており、その度合いは右足裏より左足裏の方が著しいこと、同様に花子の履いていたハイソックスも土様のもので汚れていたことが認められる。しかし、花子は、一八日の朝、埼玉学園へ再度入園するか否かなどを巡って母親と喧嘩となり、家出をしているところ(甲八八、八九、乙六三)、その後の花子の足取りについては、母親である控訴人甲野春子が、同日午後一時頃、しょぼくれた姿で町を歩いている花子を見掛け、更に同日午後九時一〇分頃、花子が自宅近くのIのアパートを訪れて泊めて欲しいと頼んだことが判明しているのみで(甲八九、九四)その詳細は不明であり、花子の左足踵に靴擦れが出来ていること(乙二三、三二の一〇、一一)などを考慮すると、同女が、本件事件に遭遇する前、八潮市を徘徊するうち靴擦れの痛みを感じるなどして靴を脱ぎハイソックスのまま歩行した可能性もあると認められるから、足の裏の汚れに関する被控訴人ら主張の事実をもって、花子が左靴を脱いだ状態で残土置場内を歩いたと認めることはできない。また、花子の右靴が死体の足元の直近から、左靴が右靴よりも残土置場の西側にある入口に近い付近からそれぞれ発見されたことは事実であるものの(乙二四、三〇)、乙川及び夏男は、花子が死亡したと思い東高校裏の路上から残土置場まで同女を運んだ際、靴を同女の腹の上に載せていたところ、その片方が落ちて見つからなくなった旨供述しており(甲一五、一九の一)、右自白は、左靴の発見時の状況に良く符合していてこれと矛盾するものではないから、花子の靴の発見時の状況から、花子が残土置場を歩行したと認めることはできないし、少年らの自白が虚偽であるとも認められない。
(九) 被控訴人らは、花子のシャツとスカート後面が同じような状態で土砂により著しく汚れており、花子がシャツとスカートを着たまま泥土の地面上に仰向けに押しつけられた可能性が高く、右(八)記載の被控訴人らの主張事実と合わせ考えると、本件事件は残土置場において引き起こされたものというべきであり、少年らの自白と矛盾する旨主張する。しかし、右(八)で認定したところと同様に、花子のシャツとスカート後面の汚れが本件事件以前についていた可能性もあるのであって、右汚れの存在が自白と矛盾するとは認められないし、本件事件が残土置場において引き起こされたことを証明するものでもない。
なお、被控訴人らは、少年らの自白では、花子のスカート後面に靴跡が印象された時期、機会を説明できない旨指摘するが、花子のスカート後面の靴跡は、花子が履いていた右靴により印象されたものであると認められるところ(乙二五、五二、五三の一、二、五四)、花子は、姦淫の実行の際にスカートを脱がされており、その際又はその後に自分でスカートを踏んだ可能性も考えられるのみならず、右(八)で認定した本件事件以前の同女の行動からして、これが本件事件以前に印象された可能性も否定できないものであって、少年らが右靴跡について十分説明できないからといって、その自白の信用性が否定されるものではないというべきである。
(一〇) 被控訴人らは、丙沢の自白では丙沢が1.5メートルの高さから重さ約12.5キログラムのコンクリート敷石を花子に向けて投げつけたとされているが、花子の顔面の損傷は鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まっていて自白と矛盾する旨主張する。確かに、花子の顔面の損傷は、右コンクリート敷石が衝突して形成されたものであるところ、右コンクリート敷石の重量等からして、これが直接花子の鼻付近に衝突したとすれば、花子の顔面の損傷が鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まらないことは明らかである(乙七)。しかし、丙沢は、残土置場に投棄した花子に向かってコンクリート敷石を投げた旨供述しているが、これが直接花子に命中したのか否かについては供述しておらず、夏男は、残土置場から逃げ出す際、「山の斜面をゴロゴロと転がり落ちるような音がした。」旨供述していることからすると、右コンクリート敷石は直接花子の鼻付近に衝突したのではなく、一旦地上に落下してから花子の鼻付近に衝突したものと認められる(甲一六、一九の一)。そうとすれば、コンクリート敷石の落下エネルギーは地面により相当程度吸収されたと考えることができ、また、投棄されたコンクリート敷石が花子の鼻付近に衝突する態様には種々のものがあり、花子の顔面の損傷が鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まる態様で花子の顔面に衝突するということも考え得るから、丙沢のこの点に関する自白が虚偽であるとは認められない。助川意見書中の右認定に反する意見は右各証拠に照らし採用できない。
(一一) 被控訴人らは、夏男の自白上、同人が花子のシャツを投げ捨てて逃げる途中、ゴロゴロという音(丙沢が投棄したというコンクリート敷石が転がる音)を聞いたとされているが、右自白は、コンクリート敷石の上に右シャツが載せられていたという事実に反する旨主張する。確かに、丙沢がコンクリート敷石を投げる前に夏男がシャツを投げ捨てて逃げたとすれば、花子の死体発見時においてはシャツの上にコンクリート敷石が載っていなければならないのに、実際にはコンクリート敷石の上にシャツが載っていたのであって(乙二四)、右自白は不合理である。しかし、シャツの投棄とコンクリート敷石の投棄とは接着して行われたものである上(甲一九の一)、夏男は、花子を殺害しその死体を投棄するという異常な事態の中で右のような音を聞いたものであるから、花子のシャツを投げ捨てる前の出来事をその後の出来事と思い違いしている可能性も存し、右自白が虚偽であるとか、夏男の自白全体が信用できないとかいうことはできないというべきである。
(一二) 被控訴人らは、花子の頸部の創傷のうち0.2ないし0.5センチメートルの幅の狭い変色部は、絞殺に際し、ブラスリップとともに、あるいはブラスリップとは別の機会に、ブラスリップ以外の別種の紐類が使用されたことによって形成されたものと考えるべきであり、この事実は頸部成傷器に関する乙川らの自白と明確に矛盾し、右自白の信用性を否定するものである旨主張する。しかし、花子の遺体発見時、花子の頸部にはブラスリップが二周して結ばれており、その一周目と二周目との間に同女の髪の毛が挾み込まれていたところ、その位置が花子の頸部の帯状変色部の位置とほぼ一致していること、頭毛が索条体にまつわりついた状況で頸部が絞めつけられることによっても頸部に右のような変色部が生じ得ることからして、右細い帯状の変色部分はブラスリップを用いて頸部を絞めつけた場合にも形成される可能性があるものと認められるから(乙二三、二四、三二の一ないし九、三三の一ないし七、及川調書、内藤意見書(二)、内藤証言)、必ずしも乙川らの自白と花子の頸部の創傷の状況とは矛盾するものではない。
なお、乙川らは、花子を殺害しようとしてブラスリップでその頸部を絞めた際、花子が両手でブラスリップをはずそうとしてもがいた旨の自白をしている(甲一五、一七、一九の二、五六)ので、花子の頸部には防御創が出来るのが自然ではないかとも思われるが、必ず防御創が出来るという経験則が存在するとも言えないから、花子の頸部に防御創がないことをもって、乙川らの自白が虚偽であり信用できないとは認められない。
(一三)被控訴人らは、少年らの自白上、少年らが花子を長時間乗せていたとされる自動車、犯行現場とされる北公園や残土置場、乙川らの着衣等から本件事件と少年らとを結びつける物証が採取されていない上、強姦行為に際し使用して現場に捨てたとされるコンドームも発見されていないなど、右自白を裏付けるものが一切発見されていないことからして、右自白は不自然であり、少年らが本件事件とは無関係であることの証左である旨主張する。
確かに、七月二六日、少年らが乗り回していたという自動車二台について指紋等の採取がされたところ、ブルーバードから、乙川及び秋男の各指紋、Bの掌紋、乙川、丙沢及び秋男の各足痕が、クラウンから乙川の指紋及びBの掌紋、丙沢及び秋男の各足痕がそれぞれ採取されたものの、花子が右各自動車に乗車したことを認めるに足りる痕跡は何ら発見されなかったことが認められる(乙七二ないし七七)。しかし、当夜、右各自動車に乗車したことを認めている夏男、C、Aについても同人らが右各自動車に乗車したことを認めるに足りる痕跡は何ら発見されず、逆に、本件事件後にクラウンに乗車した丁海冬子の指紋が同車から発見されるなどしていることからすると、本件事件後の右各自動車の使用により花子が右各自動車に乗車した痕跡が消失した可能性があると認められ(乙七二ないし七七)、右事実にかんがみると、花子が右各自動車に乗車したことを認めるに足りる痕跡が発見されなかったからといって、花子が右各自動車に乗車しなかった根拠となるものではなく、これが少年らの自白の信用性を疑わせるものであるとは認められない。
また、北公園及び残土置場から、同所に少年ら及び花子が立ち入った痕跡が発見されなかったことは事実である。しかし、少年らが本件事件の現場の一つが北公園であることを自白したのは八月に入ってからであり、その後に北公園において証拠物等の捜索がされたと認められることからすると(甲六、九の一、四三、九九、乙七八、七九、一一四)、その間に清掃等が行われて少年ら及び花子が立ち入った痕跡や問題の使用済みコンドームが失われてしまった可能性があり、北公園から少年ら及び花子が立ち入った痕跡が発見されなかったことをもって、少年らの自白の信用性に疑いがあるとは言えない。残土置場については、死体発見当日に実況見分が行われているが、残土置場自体は乙川、丙沢及び夏男が花子を投棄するために立ち入ったにすぎない上、死体発見前の一九日午前中に作業員がユンボを使用して残土のかきあげ作業を行ったことを考慮すると(乙二四、二九、三〇、五〇)、同所から乙川、丙沢及び夏男の足跡等の同人らが同所に立ち入ったことを認めるに足りる痕跡が発見されなかったとしても不思議ではなく、これをもって少年らの自白の信用性に疑問を差し挾むことはできないというべきである。
5 被控訴人らの主張する少年らのアリバイは、以下のとおり信用できない。
(一) 被控訴人らの主張する少年らのアリバイは
(1) 少年ら及びCは、七月一八日夜、八潮市内を自動車(ブルーバード)で乗り回しているうち、乙川の姉である乙川三枝子と遭遇し、同女に追跡されたが、同月一九日午前一時頃、同女の追跡を振り切って八潮市大瀬に至り、同所で自動車(クラウン)を窃取した。
(2) 少年らは、同日午前一時四〇分頃、右で窃取した自動車を含む自動車二台に分乗して足立区花畑に赴き、同所で車上狙いやポリタンクの窃取をした。
(3) 乙川及び秋男は、同日午前二時頃、Cを東京都足立区北加平所在の同人方に送って行き、その後花畑に戻って他の少年らと合流した。少年らは、同所でガソリン窃盗、電話機荒し等をした。
(4) 少年らは、同日午前二時四〇分頃、自動車二台に分乗して、C方へ行き、同人の母Dと話をした。
(5) 少年らは、C方を出て大曽根の空地に向かい、同日午前三時ころ同所に到着し、同所で朝まで過ごした。というものであり、少年らも、時刻や少年らの行動の順序等に多少の食い違いはあるものの、本件事件への関与を否認してからは右主張に沿う供述をしている(甲二〇、二二、六三、八〇、乙八四、八五の二、八七の一、二、九〇の一、二、九一ないし九七)。
(二) しかし、少年らの右アリバイに関する供述は、次の(1)、(2)の事実と矛盾する上、(3)のように他にも少年らが殊更に自己に不利益と思われる事実を隠すような態度があることを考慮すると、たやすく信用できないものである。
(1) 本件事件当時、大曽根の空地を含む付近一帯を新聞配達区域としていた三吉勇は、七月一九日午前三時三〇分頃、新聞配達のためオートバイに乗車して大曽根の空地を通過したが、その際自動車二台が右空地に駐車しているのを見ていない。三吉勇は、同日午前三時頃、窃盗事件があってパトカーで捜索していることを警察官から聞いて、付近を注意しながら走行していたものであり、三吉勇の当日の進行経路からすると、右空地のうち少年らが自動車二台を駐車していたという場所は三吉勇にとって極めて目に付きやすい場所であって、右空地に自動車二台が駐車していれば当然気付いたはずであると認められるから(甲一四七、一四八、乙一二一の一、二)、同日午前三時三〇分頃には右空地に自動車二台が駐車していなかった旨の三吉勇の右供述は信憑性が高いものである。そうすると、少年らの、同日午前三時頃には右空地に到着し、同所に自動車二台を駐車していた旨のアリバイ供述は信用できないといわざるを得ない。
(2) 被控訴人らは、少年らが二回目にC方を出た時刻は午前二時四〇分頃であると主張し、丙沢の供述(乙八五の二、九四)中には右主張に沿う部分が存する。しかし、Dは、少年らがCを尋ねて二回目にC方を訪れた際、秋男から「今二時だ。さっきまで一緒に遊んでいたから、ここに帰って来ていることは知っている。」と言われ、その後一〇分位して少年らが帰って行った際に時計を見たところ、その時刻が午前二時一〇分頃であったことが認められる(甲九六ないし九八、一三〇)。したがって、少年らが二回目にC方を出た時刻は、午前二時一〇分頃ということになり、丙沢の前記供述は信用できず、被控訴人らの右主張は採用できない。なお、被控訴人らは、少年らが乙川三枝子の追跡を振り切った時刻が七月一九日午前一時頃であるから(乙一二〇)、その後の前記(一)記載の少年らの行動からして、少年らが二回目にC方を出た時刻は、午前二時一〇分頃ではあり得ない旨主張するが、被控訴人らの主張する少年らの行動については何らの裏付けもなく、前記認定に照らし、採用することができない。
ところで、夏男、A、B及び秋男は、C方から大曽根の空地に直行し、五分ないし一〇分で到着した旨供述しており(乙八七の二、九一、九二、九五、九六)、そうとすれば、右空地に到着した時刻は遅くとも午前二時三〇分前ということになる。前記のとおり夏男及び丙沢は、右空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨供述しているところ、七月一九日の日の出は午前四時三九分であり、通常空が明るくなり始めるのは日の出の三〇分ないし五〇分位前であるから、夏男及び丙沢の供述に従う限り、少年らが午前二時三〇分前に右空地に到着したということはあり得ないということになる。
他方、乙川は、C方から大曽根の空地に行く前に公衆電話から金を盗むなどしていたため右空地には午前三時頃到着した旨供述している(乙九三)。しかし、C方から大曽根の空地へ行くまでの経路という単純な事実について何故乙川のみ他の少年らと異なる供述をするのか疑問が残るところであり、この点を暫く措くとしても、乙川の供述は、右空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨の夏男及び丙沢の前記供述と矛盾していてたやすく信用できないものである。
(3) 丁海冬子は、七月二二日、夏男から、「あの日お前の家から帰った後、八潮中央病院の近くで俺は、甲野を見たよ」という話を聞いている。「あの日お前の家から帰った後」とは、夏男が丁海冬子方を出たのが同月一九日午前〇時二五分頃であるから、本件事件までの少なくとも二時間位の間であると特定できる(甲九一、九二、一一八)。これに対し、夏男は、否認に転じてからはそのような話をしたこと自体を否定している(九五)。丁海冬子が虚偽の事実を言う必要はないから、夏男の否認供述は虚偽であるといわざるを得ない。
6 以上のとおり、少年らの自白が取調べ開始後短時間のうちに任意にされていること、少年らの自白の内容が大筋において客観的事実に矛盾しないのみならず、実際に犯行を実行した者でなければ述べられないような体験の供述やいわゆる秘密の暴露に当たる事実についての供述が含まれていて、それ自体としても信用性が高いと認めれること、逆に少年らのアリバイについての供述には疑問が存し、また、その否認供述は必ずしも信用し難いと認められることなどを総合考慮すると、少年らの自白は大筋において信用することができると認められる。
そして、少年らの自白及び助川意見書によると、請求の原因2記載の事実を認めることができる(ただし、姦淫の点については未遂の限度で認定し得るものであり、秋男については殺人の事実を除く。)。
三 次に、被控訴人らの責任の有無について判断する。
1 被控訴人乙川太郎、乙川夏子は、乙川の父母、被控訴人丙沢四夫は丙沢の父、被控訴人丁海五夫は夏男及び秋男の父として、本件事件当時、乙川らの親権者であったことは当事者間に争いがない。
2 乙川は、小学校五年生の頃から窃盗を反復して犯すようになり、中学校に入学後は、不良交友を深め、シンナー吸入、外泊、無免許運転、窃盗等を繰り返し、再三児童相談所への通告を受け、埼玉学園での教護教育を受けたりしたが効果がなく、その後も窃盗等を繰り返したため、昭和五九年一月には少年院送致の処分を受け、三月頃少年院を仮退院したがその後も素行が改まらず、七月五日に家出をし、自動販売機荒しをして警察に保護され、同月一六日保護者に引き取られたが、同月一九日に家出をして本件事件を引き起こしたものである。
丙沢は、小学校三年生の頃から窃盗を反復するようになり、乙川、秋男らと共に、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸引等を連続して行い、一〇回以上にわたって草加署に補導されている。丙沢は、父親の監護に服さず、家出を繰り返し不良交友を続けていたが、七月一二日頃家出をし、夏男ら非行仲間と共に車上狙いや自動車窃盗を繰り返した末、本件事件を引き起こしたものである。
夏男は、小学校四年生の頃から窃盗を繰り返すようになり、弟の秋男と共に非行仲間と交遊するようになり、中学校に入ってからは家出、シンナー吸引、自動車の窃盗、電話機荒し、自動販売機荒し、不純異性交遊等の非行を繰り返し、昭和五九年七月以降は児童相談所の指導を受けるようになったが依然として前記非行を続けていた。夏男は、七月一〇日頃、家出をし、丙沢、秋男らと窃盗を繰り返すなどしながら暮らすうち、本件事件を引き起こしたものである。また、花子の強姦に関与した秋男も、夏男と同様に年少の頃から乙川、丙沢らと共に、家出、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸引等の非行を犯すようになり、六月一九日に自動車窃盗で補導され、児童相談所に一時保護され、七月四日に父に引き取られたが、間もなく家出をして窃盗等を繰り返すうち、夏男らと共に本件事件を引き起こしたものである。(甲一の一ないし三、九の二、二二、三〇、三四、三八、八六の二、八七の二、一一八、弁論の全趣旨)
3 被控訴人らは、本件事件当時、乙川、丙沢及び夏男が一四歳ないし一五歳であって異性に対し強い興味を持つ年代である上、非行集団の特殊な心理から、不純異性交遊や強姦等の非行を犯し、これに付随して傷害・殺人等の凶悪犯罪を引き起こす可能性があることを知り得たというべきところ、同人らは未だ親による監督が可能な年代であったのであるから、被控訴人らは、乙川らの親権者として、乙川、丙沢及び夏男の日常の行動に十分な注意を払い、同人らが夜遊び、家出等を行う都度生活指導をしてその行動がエスカレートしないように規制するなどすれば、本件事件の発生を未然に防止することができたと認められるから、被控訴人らには右のような規制行動を取るべき注意義務が存したというべきところ、被控訴人らは、右注意義務を怠り、乙川、丙沢及び夏男が大分以前から右(二)のような常軌を逸した反社会的行動を取っているのにこれを放置した過失により、同人らをして本件事件を引き起こさせたものであり、被控訴人らは、民法七〇九条により花子ないし控訴人らが被った右不法行為による損害を賠償する責任を負うと認められる(なお、控訴人らは、被控訴人丁海五夫に対して、秋男が花子を殺害したことに基づく損害賠償をも請求しているところ、秋男については右の殺害の事実が認められないことは前述したとおりである。)。
四 控訴人らの損害について検討する。
1 花子の逸失利益は、以下のとおり二三二六万九四〇七円が相当である。
(一) 花子は、死亡当時一五歳の健康な女子であり、本件事件により死亡しなければ、少なくとも一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であった(甲八八、八九)。また、花子死亡当時の女子の全年齢平均給与額は月額一七万六五〇〇円(年額二一一万八〇〇〇円。当裁判所に顕著な昭和五九年度賃金センサスによって認める。)であり、花子の生活費控除割合は三〇パーセントとするのが相当である。
右により花子の逸失利益をライプニッツ方式(花子が六七歳に達するまでの五二年間のライプニッツ係数18.418―花子が稼働可能な一八歳までの三年間のライプニッツ係数2.723=15.695)により計算すると、花子の逸失利益の死亡時の現価は二三二六万九四〇七円となる。
(二) 控訴人らは、花子の右損害賠償請求権を各二分の一(一一六三万四七〇三円。一円未満切捨て)ずつ相続したと認められる(甲八八、八九、弁論の全趣旨)。
2 控訴人らは、花子の葬儀を行い、その費用を控訴人甲野一郎において負担した。花子の葬儀費用としては、一〇〇万円が相当である(弁論の全趣旨)。
3 控訴人らの慰謝料は、以下のとおり各自九〇〇万円が相当である。
控訴人らは、五人兄弟の長女である花子が、乙川らに強姦された上殺害され、悲惨な最後を遂げたことにより、失望と悲嘆のどん底に突き落とされたものであるところ(甲八八ないし九〇、乙六三)、前記のとおり花子が家出をし、深夜八潮市内を徘徊するなどしていて本件事件に遭遇した点で控訴人らとしても監護が万全でなかったという事情があることなど諸般の事情を考慮して、控訴人らの右精神的損害を慰謝するには控訴人ら各自に対し九〇〇万円をもってするのが相当であると認める。
4 本件事件の弁護士費用としては各自二〇〇万円が相当である。
五 よって、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当でないから取り消し、控訴人甲野一郎の請求は、被控訴人らに対し、各自、本件不法行為による損害金二三六三万四七〇三円及び右損害金のうち弁護士費用担当の損害金を除く二一六三万四七〇三円に対する不法行為後の日である昭和六〇年七月二〇日から、弁護士費用相当の損害金二〇〇万円に対する本件訴状送達の日である平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、控訴人甲野春子の請求は、被控訴人らに対し、各自、本件不法行為による損害金二二六三万四七〇三円及び右損害金のうち弁護士費用相当の損害金を除く二〇六三万四七〇三円に対する不法行為後の日である昭和六〇年七月二〇日から、弁護士費用相当の損害金二〇〇万円に対する本件訴状送達の日である平成元年二月一九日(ただし、被控訴人丁海五夫については同月二二日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるから右限度で認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官清水湛 裁判官瀬戸正義 裁判官小林正)